10000字以下 一話読み切り
──この町には神がいる。 境薫は陽射しの眩しい季節、夏休みの少し前に蛇沼町の小さな学校に赴任した。とはいえ、住んでいるのは隣町で駅を数えれば2つ隣、境は帰りの電車内でぼんやりと外を眺める。自分が住む街の駅、次いで森の中にある内海駅、そして職場のある蛇沼駅。いつだったか生徒に内海駅の先に何があるのかを聞いた事がある。曰く、胴の太い蛇の形をした湖があるとの事。蛇の頭が駅側にあり、湖に行く人が蛇に食べられている様に見える事から、俗称として人食い駅とも呼ばれているらしい。またその湖は形からクチナワ湖と呼ばれており、内陸で本来海の無い土地という事から駅名は内海駅となったらしい。唯一不思議な事は、その湖の周辺には本生息しない数多の蛇がおり、独自の生態系を築いていると言う事だ。 ぼんやりと外を見ていると次第に電車は徐行になり、内海駅に止まる。心許ない明かりに照らされる木造の駅に、二人ほど乗客が降りたのを見た。この駅は蛇沼町が資金を出して営繕しているらしいが、恐らく担当の人なのだろう。程なくして走り出した電車の外は次第に明かりが増え始め、自分の住む眩しい駅に止まると幾人もの人を吐き出した。 ◇ 生徒は夏休みとはいえ、教師が同じ様に休むのは難しい。 とはいえ、授業がなければ定時に上がることは可能である。帰ろうとした矢先、校長先生に呼び止められた。 「境先生、お疲れ様です」 「あ、校長先生、お疲れ様です」 「今日はもうお帰りですか?」 不穏な会話である。これは暗に帰るなという事ではないか。そんな心配が顔に出ていたのか校長は笑う。 「はは、そんな顔しないでください。このまま帰ってもらって構いませんよ。ただ少し寄り道をして貰えませんか?」 そういった校長は封筒を一つ差し出した。受け取った私は、あぁ郵便を出すだけかと安堵したが、 「これを神社に届けてください」 「……蛇沼神社ですか?」 えぇ、そうですと校長は人のいい笑みを浮かべている。 「蛇沼神社には行った事はありましたか?」 「いえ、遠目に見た事があるだけですね」 「そうでしたか。ではこの町で働いていますし無関係ではありません。挨拶がてらお使いを頼みますね」 自分の席へと戻る校長を目の端で捉えつつ、封筒に目を落とす。口の閉じられたそれは三つ折りの書類が一枚入っているような、薄い厚みを主張していた。 「お使い頼まれちゃいましたね」 自分の立っている横の席、先輩教師である高田先生に声をかけられた。 「はい、大した事では無いので良いんですけど」 「校長先生、新しく来た人にはいっつも神社にお使いを頼むんですよ」 「そうなんですか?」 「うちの町って多かれ少なかれ蛇を信仰していまして。それが年配になると顕著になるんですよ。まぁ、親心みたいな感じだとは思うんですけど、それで新しく来た人にも蛇と関わる機会に神社へお使いさせているみたいです」 「蛇信仰ですか。なんか珍しいですね」 「この町では蛇以外を信仰している方が珍しいですよ」 「はぁ、そうなんですね」 「ほら、内海駅ってあるじゃないですか。あそこって本来いないはずの蛇も生息しているらしくて、独自の生態系を築いているみたいなんですよ。それも相まって街の人間もそこを保護する為なのか、赤字なのに駅を営繕して停まるように交渉したらしいですね」 「そこまでして駅を残すなんて、随分と信仰心が強いんですね」 「そうですね。呼び止めてしまいましたが、遠くはありませんのでお気をつけて」 高田先生に会釈をすると静かな学校を後にした。 蛇沼神社は学校から北にある小さな山の中、切り開かれた場所に建っている。だからこそ、行った事が無くとも周囲を見渡せば視界に入り迷う事なく辿り着くことができた。しかしながら運動不足というべきか、山林の中の石畳の階段。これが足にくる。やや息を切らせて辿り着いた境内から町に向き直ると、森に囲まれた小さな町を一望できた。神社とは反対の町の端、そこに蛇沼駅がある。右の方に視界をずらすと遠くの方に、森が開かれた場所が見える。きっとあの辺りが内海駅でクチナワ湖のある場所なのだと推察できた。 「こんにちわ」 後ろから声がかかる。振り返ると赤と白の、所謂巫女装束に身を包まれた女性が立っていた。 「こんにちわ。すみません、学校の者なんですが校長先生にお使いを頼まれまして」 封筒を見せると、あぁそうでしたかとなれた様子で社務所へと案内された。 「あの学校の校長先生は本当に信心深い方でして、新しく来た方に私達を知るきっかけを与えようと、こうしてお使いを頼むんですよ」 道すがら校長先生は常習犯である事を伝えた彼女は、応接室のソファに自分を座らせると少々お待ちくださいと頭を下げて部屋を出ていった。 室内は質素ながら手は行き届いており、古臭さは残るものの決して汚れている訳ではない。配置された家具類には年季を感じるが、それがもしかすると高級品なのではないかと鑑定眼のない自分に思わせる説得力があった。特に目を引くのは2点。壁に飾られている、白い額縁に入った瞳が金に輝く黒蛇の油絵。ニスが塗られているのか艶のある赤い木材で出来た台座の上にある、高さ20cm程度の石で出来た卵。それだけで蛇にまつわる神社と言うことは十二分に理解ができた。部屋を眺めていると神主と思われる白髪混じりの男性が部屋に現れ、頭を下げると向かいのソファに腰を下ろした。 「はじめまして。神主の永倉です」 「はじめまして。一月ほど前に学校に赴任した境と言います」 「お話は伺いました。校長先生から預かり物があると」 「はい、こちらです」 促されるまま手に持っていた封筒を神主の前にある小さな机に置いた。それを受け取ると神主は封を切り、中身を検めた後に元通りに封筒に書類を入れ直す。 「確かに受け取りました。境先生、お疲れ様でした」 柔和な笑みを浮かべた彼につい、反射的に会釈を返してしまう。 「先程、案内してくれた方に聞いたのですが校長先生は毎回、こういったお使いをされると」 「えぇ、大した内容ではないので誰が来ても問題はないのですが、新しい人には挨拶も兼ねてお使いを頼んでいるようですね」 「まだ来たばかりで知らない事が多いのですが、この町では蛇を信仰していると聞きました」 「興味を持っていただけましたか? そうであれば校長先生の計らいが実を結んだようですね。もし宜しければ少しばかり説明しても?」 「はい、お願いします」 教師とは学問を教える身であるが、学問に終わりはない。自分の興味に身を任せ、知らない事を知る事が学問の始まりである。誰かに教えるには自分が知らなければならない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という言葉がある。なれば教師である自分は知らない事を恥と思わず、知る人に教えを請う事も教職の一環なのだ。と、ただの知的好奇心に意味付けを終えた自分は神主の言葉に耳を澄ませた。 ──蛇沼町が出来たのは凡そ300年程前。 その頃はここではなく、クチナワ湖の近くに出来た小さな集落であったらしい。それが時代が進むに連れ、今の蛇沼町へと住居を移して言ったとの事。今でも内海駅を存続させているのは、蛇信仰の始まりはクチナワ湖で生活していた頃の名残であり、その頃の御身体はクチナワ湖であった。今でこそ科学も発達し、クチナワ湖も内陸湖として分類されるただの湖である。それでも湖周辺の蛇の生態分布は独自のもので、学者達が調査するも未だその理由は解明されていない。そんな神秘性の発生源は御身体のクチナワ湖である。と、この町の人間は身近にある不思議な生態の答えは湖であると見出すが、その神秘性を必要以上に解明はしない。 「何にでも道理を求めるのは現代人の悪い癖ですね。そこにあるから、そこにある。そんな単純さを受け入れられないからこそ、信仰心を胡散臭いものと思ってしまうのです。……神はここにいる。こことは場所を指すのではなく、自分の心の中を指すのです。この現物主義とでも言うのでしょうか、目で認識して触れる物、科学的な根拠があるものでしか対象を認識できない。これはきっと昔の人と比べて退化してしまった感覚なのでしょうな」 「現代では上下水道も整備され、水のありがたみが薄れてしまっている気がしますね。それこそ昔であればきっとクチナワ湖が生活の中心だったのだと思います。だからこそ湖を御身体とした蛇信仰も生まれたのでしょうね」 それを聞いた神主は小さく笑う。 「はは、それが悪い癖ですよ。理由なんて必要ないのです。ただ湖があって、それを拠り所にした。その気持ちが信仰心であって、湖を信仰する理由付けは不要なんですよ。同じ気持ちがあれば、別に湖ではなく木を信仰したって構わないんですよ。とは言え、いっぱい生えている木よりも一つしかない湖の方が特別さもあって気を引くのも確かですな」 「難しいんですね、信仰するのって」 「先生方は賢すぎるのですよ。だから結果から逆算して過程を探って理由付けをしてしまう」 「そんなもんですか」 「そんなもんですよ」 信仰なんて気を張ってするもんじゃありませんよと、席を立った神主は先生の肩を叩いて楽しそうに笑う。それを合図に説明は終わり、神主に見送られ先生は神社の境内から、うんざりする階段に踏み入った。 帰り際、神主の残した言葉が脳内で繰り返される。 「まぁ、この町には神様がいます。近い内に見る機会もありますよ」 あれだけ気持ちが大事と説いた神主が神がいるという。それは心の拠り所として個人が信仰する偶像ではない神、つまりは直接会える存在として神がいるという事だ。そんな事はありえない。そう思う半面、気持ちの持ちようを説かれ少しだけ芽生えた信仰心が、本当にいるのかもしれないと妙に気持ちをさざめき立たせていた。 ◇ どこにでもある盆祭り。 むしろ小さい町だからこそあると言うべきか。蛇沼町にも存在した。8月の14、15、16日の三日間行われる盆祭り。学生が羽目を外しすぎないように観光半分、仕事半分で駆り出される事を盆休み前の仕事納めの日に伝えられた。作為的としか思えない遅い情報共有に「久しぶりの新人さんだから改めて伝えるのを忘れていたよ」と形だけの言い訳を残す校長先生に重い溜息を吐いてしまったが、特段休みに用事などなかったため祭りを観光できると、どうにか前向きに気持ちを立て直す事に成功した。詳しく聞くと、ただ祭りに出て変な事をする生徒がいないかを見て欲しいという話であったが高田先生は「校長先生は毎回、新任の先生には遠回しに祭りへ参加させるする様に言うんだよ」と言っており、あぁまたかと納得してしまった。地元愛も結構であるが、どうにかならないものか。職務ではほとんどかかわらない校長先生に対する不満はそれだけである。 しかしながら夜にふらついてないかが主な職務内容な上に、夜は町の人と飲み会を開くというから形骸化した仕事であると聞かされ、それならば気楽なものだと安心したものだ。そう言えば、と思い出し私は高田先生に聞いてみた。 「前に神社に行った時、神主さんが町には神がいるって聞いたんですけど知ってますか?」 「あぁ、巫女様の事ですね」 「巫女様? 神社にいる巫女さんの事ですか?」 「いや、その巫女さんとは違うんだ。神社に行った時に神社については聞いてない?」 「街の成り立ちと蛇信仰の始まりについてだけですね」 「そっか。あの蛇沼神社って、この町で一番古い場所なんだよね」 「古いって建物の話ですか?」 「ううん、この町ができる前の湖の近くにあった小さい集落の時から続いてる由緒正しいって意味で。その頃から蛇を信仰する一族として、今の神主さんまで続いてるんだって」 「そうなんですか? 確かに神事って今よりは昔の方が当たり前にありましたよね。それが今まで続いてるのは凄いですね」 「うん、それでね。その蛇信仰ってクチナワ湖を御身体にしているとは聞いたと思うんだけど、それとは別に蛇沼神社では特別な身分の人を祀っているんだよ」 「それが巫女様で神様って事ですか?」 「そう言うことだね。どう言う基準で選んでるのかはわからないけど、蛇神様……御身体の事ね。その蛇神様の代行者って事で巫女様を敬っているみたいだよ」 「普通に会えるものなんですか?」 「会えるよ。酒久さんって言うんだけど、普通に町に住んでるんだよね」 「随分と市井に近い神様ですね」 町を歩けば、その辺で会える神。確かに偶像よりは説得力がある。そう思い私は高田先生に別れを告げて夏休みへと入っていった。 ◇ 夏祭り一日目、高田先生に言われた通り何となく生徒を見つつ観光をしていたら飲みに誘われ一日は終わっていた。 夏祭り二日目、神様と出会った。 数言会話を交わしただけの、何の事はない世間話。あぁ神様と会話してしまった。Tシャツにジーパンのラフな神様は見た目の通りに所帯じみた、良く言えば市井に馴染んだ神様であった。 夏祭り三日目、数時間の飲み会を超えた先で何時の間にか同席していた校長先生に連れられて、私は席を立つ。 「どうです? 祭りの間に巫女様には会えましたか?」 「えぇ、昨日。何でしょう、普通の人と言いますか」 「はは、そうですな。巫女様は祭事の時以外は町で生活していますからね」
ここまでで4500くらいに収めたい