魔法は時代と共に変遷する。 現代魔法を紐解けば、過去の魔法史とは異なる部分が多い。今、地球上で繁栄している知的生物は人間であり、かつては誰もが魔法を使えたと言う。遥か昔には魔法生物と呼称される生き物も多く生息したていらしい。今では童話や神話、寓話でしか見ない幻想。ドラゴンやエルフ、吸血鬼。それらは人間と区分され魔法生物と呼ばれていたが、どの種族も人間と遜色ない知識を備えていた。俗称として主に人間に敵対的な魔法生物は魔族と呼ばれ、好意的な魔法生物は精霊と呼ばれる事もあった。特筆すべきは魔王と勇者。文献を遡れば何度も魔王と呼ばれる存在が現れては世界の支配を目論見、勇者と呼ばれる存在が魔王を討ち果たしていた。必ず魔王が先に現れ、勇者が呼応するように現れる。一部の学者は魔王と勇者は同一存在であり、別の側面から見た世界の均衡者だと評していた。だが現代において魔法生物など存在しない。遥か昔、魔法は今よりも身近で魔王と勇者は特別な存在であった。 現代において魔法は特殊な体質を持つ人間が扱える技術であり、魔法生物と言う呼称は廃れたが魔王と勇者は聞き馴染みのある言葉である。誇張した言い方をするのであれば、現代にも魔王と勇者は存在した。魔法を扱える特殊体質は因子持ちと呼ばれ、魔王因子か勇者因子のどちらかに区分される。因子濃度が高い人間を現代の魔王、現代の勇者と誰かが呼び始めた。安いレッテルは遥か昔の特別さとはかけ離れ、俗物的な一種のステータスへと成り下がる。その特殊性から因子持ちのみが就ける専門職も存在するが、長い時代に失われた感覚や技術が多く、大半の因子持ちは単純な魔法しか扱えず仕事とするには狭き門であった。更に言えば現代の魔法は因子による魔法特性に特化しており、自身の特性にあった魔法しか使えない汎用性の無いもの。そんな魔法に対する研鑽が不要で、一種のステータスへと成り下がった特殊体質を良しとする世界がある。広く開放された見世物小屋で飼われる偶像、メディアの顔となる閉塞的な世界。芸能事務所のタレントであった。 ここ数年の流行りは年代毎に因子濃度を公表する魔王番付と勇者番付。体質に完全依存した番付に本人の能力は不要である。現代の研究でこの因子濃度は後天的に変化させる事は不可能だと結論付けられていた。その絶対的とも呼べる現代社会に不要な資質は、話題作りとランク付けにうってつけな材料であった。昨今、最も人気を博しているのは大手芸能事務所2社による若手タレント・若手モデルによる勝負と銘打った様々なコーデの発表会である。 現代の魔王と勇者は魔法と武力を放棄し、コーデバトルによる人気投票が主戦場となっていた。 "天真爛漫な魔王様、今回の春コーデはシックな大人め系" "冷静沈着な勇者様、今回の春コーデは幼さ残るお嬢様系" "ちょっと背伸びをした魔王様が世界を支配するのか、大人になりきれない勇者様が世界を救うのか。みんなの好きなコーデを投票して推しコーデを流行らせちゃおう!!" 「……くだらないなぁ」 この世界にはもう魔王も勇者も存在しない。 複合商業施設に設けられた巨大街頭モニターには各コーデを着こなす魔王様と勇者様が映し出され、短いPVで簡単なコーデの特徴を説明し投票を促している。二年前から始まった二人の勝負は他の企画も含め7勝6敗で勇者様の勝ち越し。三年目の今年、高校生最後の一年はどちらの勝利で始まるのか──。 延々と垂れ流される映像を背に、青年は雑踏に溶けていく。 ──時末蓮。 かつては勇者と共に魔王を討伐した現代を生きる自称最強の魔法使いであり、限りなく魔法を解明し人の範疇を逸脱した存在である。
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「魔王ちゃん、お疲れ様」 「由紀ちゃん、ありがとー」 撮影を終えた現代の魔王、鷲ノ宮うるかはマネージャーである吉田由紀からペットボトルを受け取り、口を付けた。 「まだ春先なのにあついよねー」 「ねー。まだ日陰はひんやりしてるから良いけど」 木陰で一息をつく二人の付き合いは二年前、うるかが読者モデルとして紙面に載った日よりちょっとだけ遡る。 新卒で数年ほど雑務を経験した由紀の初めての担当が彼女なのだ。当初は一時的な話題作りの企画であった原石を探す小さなオーディション。指定したコーデで来てもらい、どういった考えで纏めたのかを面接で確認する掘り出し企画。その面接官の一人として由紀は参加していた。先輩と上司の三人で面接した企画だが、二人は素人に期待は皆無で可愛らしい子、格好いい子達が懸命に説明するコーデを笑顔で聞き流し、適当に片付けていく。由紀から見れば年相応で多少詰めの甘い所があっても綺麗に纏めた素晴らしいコーデであった。だが目の肥えた二人からは路傍の石らしく、原石足りえない厳しい現実。二人の考える原石は磨けば光るではなく、最初から光っているものを更に輝かせる価値がある物なのかが肝要なのだ。正直、素人をプロデュースして多少光るものにする程度なら大して難しくはない。だが低い天井では他社との競争に勝てず、事務所の顔としては弱い。新人という特別な立場を利用して一時的な話題には出来るが、それは事務所の新人という組織の力があってこその話題なのだ。二人の求める原石は個人で組織と戦える蕾、今後数年は先を見て成長過程を読者に実感させられる確かな華。そんな新人が易易と来る訳がない事をわかりきっている二人は休憩時間と変わらない気楽な様相だ。 コンコン、と大きめな音を立てた扉が開かれる。淀みのない動作で扉を占めると三人の前に置かれたパイプ椅子の前に立ち足を肩幅に広げ、両手を腰に据えて開口一番──。 「現代の魔王、鷲ノ宮うるかです。よろしくおねがいします」 得意満面な笑みを浮かべ元気な挨拶を口にするが、堂々と張った控えめな胸は頭を下げるつもりはないと主張する。休憩時間に突撃してきた異質な彼女。自分を含め全員が面食らってしまい、微妙な間を開けてしまった。しかし、その間は確かに得意満面な彼女を面接官に刻むには有益な数秒である。 「……あぁ、えっと。鷲ノ宮うるかちゃんですね。どうぞ座ってください」 進行役の先輩が促す言葉を彼女は元気に遠慮した。 「いえ、このままで」 ゆっくりと一回転、全身を丁寧に魅せると彼女は正面に向き直り体の前で両手を握ると小さく頭を下げた。 「あの、ごめんなさい。私身長が低いから、座っちゃうとしっかり見えないと思って……」 さっきまでの元気さとは売って変わりはにかみながら彼女は体を小さく揺らしている。 「うん、そうなんですね。じゃあもう少しの間そのままで我慢してくださいね」 優しい言葉をかけつつ、先輩は机に放られた数枚の履歴書から彼女の資料を見つけ出す。今回初めてペンを持った上司も持参したノートにペン先を置くのを見て、自分も改めて一番上の履歴書に目線を落とした。 「うるかちゃん。まずは簡単に自己紹介をお願いします」 「はい。鷲ノ宮うるか、15歳。中学三年生です。特技は特にありません。苦手な事も特にありません。服が好きなので色んな服を着たくて応募しました」 「んーと、特技は何もないんですか?」 「ありません。唯一の取り柄は根拠のない自信です」 確かに彼女の表情からは一片の不安も見て取れない。 「あはは、根拠は欲しいなぁ。服が好きなんだね。じゃあ一年間を通した私服コーデも組めるのかな?」 「はい、大丈夫です」 「うん、良かった。それじゃあ聞きたいんだけど、今回は秋コーデで募集したよね? 今着てるのって夏コーデじゃない?」 ああ、これですね。改めて丁寧に回った彼女は自信満々に腰に手を当て直す。 「可愛いですよね?」 「うん、可愛いよ。可愛いんだけどね」 開けた窓から入る風にそよぐ黒のツインテール。幼さの強い得意満面な笑顔。ブラウスは薄手の生地と見て取れる淡い青のパステルカラー。上には透け感のある黒の夏物カーディガンを羽織り、ブラウスと同色のキュロットパンツは膝丈。膝丈より少し上の黒ニーハイはくるりと回った時に太ももを僅かに覗かせる長さで、足元は黒のローファーで締めている。青と黒のツートンで纏めたコーデは落ち着きがあり、パステルの青は夏らしい爽やかさを感じさせた。だが今回の募集は秋コーデ。秋にこのコーデでは爽やかさよりも寒々しさが印象に強い。それと短時間で見て取れた彼女は元気で自信家。ブルベで纏めるにはイメージに齟齬がある。 「秋には寒くないかな?」 「肌寒いと思います」 「うん、そうだよね。それはわかるよね。なのに夏コーデで来たの?」 「……? 街の中っていっぱい人が歩いてますよね?」 「うん?」 「私と同年代、高校生、お姉さん達。冬でも短いスカート履いてますよね?」 「あー、履いてるねぇ。寒いだろうに」 「コーデってそんな寒いからやめるってものじゃないと思います。お姉さんはどうですか?」 不意に話を振られた吉田由紀は先輩と上司に見られつつ、自分のコーデを思い返す。 「時と場合にもよりますけど着ちゃいますねぇ、寒くても。中に重ねれば長時間外にいない限りはそこまで気になりませんし」 「ですよね!? 着ちゃいますよね!?」 同意を得た彼女は年相応に華のような笑顔を見せた。若いなぁと置いて行かれた二人はしみじみとお互いを慰めている。 「あの、私、春でも秋でも冬だったとしても可愛いは可愛いと思うんです。もちろん、私も寒いのも暑いのも好きじゃありません。それでも、やっぱり一番最初は着たいものを選んじゃうんです。お姉さんの言った通り、場合によっては妥協もしちゃいますけど、着たい服を着て一日楽しくいたいんです」 「なるほどなぁ」 上司が初めて彼女に言葉を投げる。 「じゃあ秋コーデを選ぶんじゃなくて、君が秋に着たものが秋コーデって事かな?」 「そうです!! そうなんです!! わかってもらえましたか!? あぁ、良かったぁ」 安堵した彼女は肩から力を抜き、腰に当てていた両手をぶら下げる。柔らかい表情の彼女に再度上司が声をかけた。 「それじゃあ、私からは最後に。最初の挨拶だね、現代の魔王。あれって私達がやってる番付に合わせたのかな?」 「はい、わかりやすいかなって」 「じゃあ、魔王因子があるんだね? 何か魔法が使えるの?」 「えっと使えるんですけど、その……弱くて、勝手に発動しているらしいんです」 「今もかい?」 「たぶん……」 「何の魔法なのかな?」 「因子の特性が魅了らしいです。ただ私の場合は魔法が弱いので人に嫌われにくいとか、初対面の印象が良いとか。その程度みたいで」 最初の勢いはどこへやら、因子持ち特有の本来であれば自信を持つ部分で彼女は徐々に言葉を弱めていく。そんな彼女を眺めた後、三人はお互いの目を見やった。 「……わかりました、ありがとうございます。合否は追って連絡しますね」 「はい、ありがとうございました」 深く頭を下げた彼女は来た時とは違い静かに退室していった。 「どう思います?」 先輩は上司を見て問い掛ける。履歴書を眺める上司は短く唸るとノートに何かを短く纏めながら口を開いた。 「私達だと年が離れすぎて感性がズレていたかもしれないなぁ。吉田さん、どう思う?」 「私ですか? 個人的な意見であれば面白いかと思います。どうしても春コーデとか銘打っちゃうと凡そ決まりきったパターンになりそうですし、それならパターンから外れそうなコーデも良いかなと」 「うん、そうだね。じゃあ急がなくて良いから一つだけ確認しといてよ」 上司の視線の先には鷲ノ宮うるかの履歴書があり、長所の欄には幼い文字で一言だけ書かれている。 "因子濃度:72%" それは自分達の事務所全年代の中で、現在トップの人間よりも二倍以上高い異常な数値であった。
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学者の一説が正しいのか、運命の巡り合わせか。 魔王ちゃんがオーディションを受けたほぼ同時期、別の大手芸能事務所の男は街で見かけた勇者ちゃんをスカウトしていた。 「いえ、興味ないので」 「まま、そう言わず。ほら、名刺。怪しい人じゃないからさ?」 「街中で突然話しかけてくる知らない人は怪しい人です」 「親の教育が行き届いてるぅ」 「ついて来ないでください」 「お姉さん、高校生? 来年は大学生かな? ほら、もう会社の前に着くからさ、ちょっとだけ。ちょっとだけお茶してお話しようよ?」 クソみたいなノリで話しかけてくる若い男に嫌悪感を隠せなくなった彼女は立ち止まり、横を歩く男を睨む。 「中学生です」 「はは、またまたぁ。サバを読むには早すぎー」 「んっ!!」 見せつけるように取り出した学生証には中学三年生という文言と顔写真。それを見比べ、男はまじかよと内心呟いた。だが、同時にチャンスであると理解する。彼女を捕まえられれば間違いなく事務所の顔になる。今が中学三年生なら半年後、来年から高校生相手の雑誌の読モとして売り出せば3年間……。いや、大学を見据えて3年以上専属モデルとして学生コーデの最前線に据えられる。欲を言えば、何も知らない間に長期契約を結ばせて俺の評価は鰻登りでぐえっへっへ──。 欲望に忠実な男は気持ちの悪い動作で正面に回り込み、自分より20歳近くも下の女の子に躊躇わずに土下座をすると、両手で持った名刺を頭の上に高く掲げた。 「名刺だけでも!!」 「うわ、気持ち悪……」 横にズレて逃げようとしたが、男は器用にも足の動作だけで平行移動して進路を阻む。 「受け取るまではこのまま着いて行きますからね!!」 ここまで気持ち悪い存在がいるものなのかと絶句した彼女は奪う様に名刺を取ると、振り返らずに駆けて行った。頭を下げ続けて十余年、彼の土下座を避けられたものはいない。勝ったな。そう悟った彼の後ろには青い制服の男性が二人、呆れた顔で控えていた。 「星ちゃん、遅いよー」 「ごめんなさい、変な人に絡まれて」 肩で息を整えた星ヵ神琴音は小さく頭を下げた。それを見た学友の竹田紗衣は「あぁ、また」と苦笑する。琴音とは中学の三年間同じクラスであり、三年間で最も遊んだ友人と言っても過言ではない。だからこそ「あぁ、また」で済むのである。中学一年生の最初は自分達と大差ない容姿であったが、後半から中学二年生にかけて目に見えて大人びたのだ。比較対象が自分である事は少しばかり寂しい気分にもなるが、横で大人びていく彼女を見るのはそれはそれで楽しい気持ちもあった。何より無頓着な彼女を連れ出して着せ替え人形に出来るのは、自分が着れないものを選べて面白い。 「今日はどこ行くの?」 「んーとね、あの街頭モニターあるビルわかる?」 「大きい交差点のとこだよね?」 「そうそう。新しいお店何個か入ったみたいだから見に行きたいなって」 「そう。じゃあ行きましょうか」 二人は目的地に向け歩き出す。紗衣と比べれば琴音は大分身長が高い。確か琴音は162位と言っていたか。横に並べば姉のような身長差。モデル体型とは琴音の様なスタイルを言うのだろう。 「それで今日は何だったの?」 「何かしら? 酷く気持ち悪い人で名刺を受け取らないと着いてくるって言われたから、名刺だけ貰って走って逃げたきたの」 そう言えば手に持ったままだったと、琴音は名刺を一瞥し紗衣に手渡した。受け取った紗衣は小さな紙を検める。 「えっと、つくも……はじめさん?」 「名乗ってなかったわね、そう言えば」 聞き流していただけかも、と琴音は独り言を零す。 「坂崎芸能事務所、グラビア部門……」 はて、どこかで聞き覚えがあるような。紗衣は小首を傾げるが思い出せない。 「紗衣ちゃん、いらないからそれあげる」 「んー、じゃあ貰っとこうかな?」 名刺を財布に入れた紗衣は琴音の手を握り大きく振って遊び始めた。 「どうしたの?」 「別にー」 ただお遊びたいだけで意味はない。琴音もそんなことはわかりつつ、ただされるがままに腕を振られていた。 「ねぇ、紗衣ちゃん。私にはあんまり似合わないと思うんだけど」 「えー、そんなこと無いよー。それに私が選ばなかったら着ないよね?」 「うん、まぁ……。そうなんだけど、恥ずかしい」 着せ替え人形にされて遊ばれる琴音は姿見を見て、僅かに目をそらす。少女らしいと言うべきか、自分が着ては違和感が強い。 セミロングの黒髪を大きなリボンのバレッタで纏め、袖口の緩いブラウスの上に胸元が空いた薄萌黄のワンピース。腰は細いベルトで軽く絞り、首元にはスカーフの様な柔らかいリボンが巻かれている。膝下まであるワンピースの裾からは白いソックスが覗いておりブラウンのローファーが学生らしさを主張していた。 ワンピースなど着ない琴音は上から被るような通気性の良さに、どうにも気恥ずかしくなってしまう。制服のスカートですら未だに違和を感じるのだ。それなのに腰から肩に留め位置がズレては収まりが悪い。 「これ買おうよー」 「買っても着ないと思うんだけど」 「えー、私が着てって言ったら着てくれる?」 「……まぁ、言われたら考えるかも」 「じゃあ誕プレで買ってあげるから着てね」 「三ヶ月は先なんだけど」 「前借りってご存知ない?」 「それってくれる側が使う事あるんだ」 「じゃあ会計するから、今日はそのまま帰ろうね」 元気な声で店員を呼んだ紗衣は安くはない金額を支払い、そのまま値札を取って貰うと琴音の手を引き店を後にした。 幾つか店を見回った後、休憩にと喫茶店に立ち寄った。 甘い物が食べたいと言い出した紗衣に引っ張られ初めて入る喫茶店。店内に入ったが待ち合わせと店員に告げた紗衣に琴音は眉を寄せ、誰かが手を上げた席に向かう紗衣に連れられて行く。その席の前で琴音は立ち止まってしまった。 「やぁ、琴音ちゃん。君は紗衣ちゃんだね、二人とも座ってよ」 そこには爽やかに微笑む変質者が座っていた。 「紗衣ちゃん?」 「あは、ごめんね。色々着てもらってる時に事務所の名前思い出しちゃって電話しちゃった」 悪びれもしない彼女は席に付き、変質者は好きなもの頼んでよと促している。躊躇いこそあれど勝手に帰るという考えに至れない琴音は消極的に紗衣の隣に座り、変質者は同様に好きな物を頼むように促した。 「紗衣ちゃん、あのね……」 「まぁまぁ、奢ってくれるって。どうせ休憩したかったし甘い物食べながらお話聞くだけならお得じゃない?」 「……紗衣ちゃんが良いなら良いけど。でも食べ終わったら出ようね?」 「話は纏まったかな? 好きなの頼んで良いからね」 少し前から待っていたのだろう。変質者はコーヒーを飲み終えると自分達を待つように手帳を開いていた。紗衣ちゃんはショートケーキと紅茶のセット。自分はデラックスジャンボパフェとカフェオレを選んだ。それを見て変質者は改めてコーヒーを追加して店員にメニューを注文する。 「まずは紗衣ちゃんだね。ごめんね、連れてきてもらって。ありがとう」 「いえ、そんな……」 頭を下げた変質者にどこか気恥ずかしそうに紗衣は短く答えた。頭を上げた変質者は琴音と目を合わせてから頭を下げる。 「強引な形になって済まなかったね。紗衣ちゃんに頼んだのは僕だから怒らないであげてほしい」 「……別に紗衣ちゃんに怒る気はありません」 「うん、それなら良かった。もし文句が言いたかったら会社に言ってよ。君の代わりに会社が容赦なく怒るからさ」 ヘラヘラと笑う変質者には会社からの叱責などどこ吹く風なのか、やめて欲しいという感情は一切感じられない。 「それじゃあ、改めまして。坂崎芸能事務所の九十九一だよ。グラビア部門……わかりやすく言ったらファッションモデルを見つけたり補佐する部門で働いているんだ。今日、君に声をかけたのは新人モデルとして興味はないかなと思ってね」 「興味ありません」 そもそもこの変質者はそんな事一言も言っていなかったはず。名刺も貰い、こうして話しても胡散臭さしか感じないのは何故だろうか。第一印象が悪すぎる。 「えー、星ちゃんがモデルの雑誌買いたいなぁ」 「買いたいなぁ」 「気持ち悪いので声真似をしないでください。紗衣ちゃんも悪乗りしないでね」 「酷いなぁ。一応簡単な説明だけど、僕の担当部署で雑誌に載る場合はこれに掲載されるよ」 手持ちのカバンから今月の雑誌を取り出し、変質者は二人の前に差し出す。 "lapis×2 8月号" lapis×2 "ラピラピ"はコンビニエンスストアや本屋で見る雑誌の名前であった。学校で良くテレビの話をするクラスメイトは大抵読んでいる雑誌程度の認識を持つ琴音には、特段興味を持つ情報ではない。だが紗衣は違い、歓喜の声をあげていた。 「九十九さんがやってるんですか!? 私もよく見てます!!」 「ほんと? ありがとね。僕が担当してるっていうのは言い過ぎだけど関わってはいるよ。星ヵ神琴音ちゃん。君が話を聞いてくれるのなら、読者モデルの新人紹介で僕は使わせてもらいたいと思ってるんだ。もちろん上の人の判断によるから絶対載せられるとは言えないんだけどね」 「私も知ってる雑誌だけど人気なの?」 「人気だよー。でも私達より少し年上の人がよく見てるのかな?」 「うん。対象は高校生から大学生がメインだよ。琴音ちゃんが大人びてたから声を掛けちゃったんだけど、今回気まぐれでも付き合ってくれたら半年後の高校生からは定期的にお願いしたいとも想ってるんだ」 「毎月星ちゃん見れるなら買う!!」 「ほとんど毎日会ってるよね?」 程なくして店員が注文の品を運んできた。小さく頭を下げ礼を述べた変質者は各々の前に頼んだ物を配膳すると「どうぞ」と食べる様に促し、追加で頼んだコーヒーに口をつけた。ため息をつく琴音は控えめに、紗衣は元気に礼を述べると甘味を口にする。 「あ、これ美味しい」 「それは良かった。うちの所属モデルの子が良い店だって教えてくれてね。生クリーム類は北海道産の牛乳を使ってるらしいよ」 「よく見ますけどブランドみたいですよね」 「酪農のイメージが強いからね。質の良し悪しは別にして美味しそうに感じるよね」 二人が歓談するのを聞きながら琴音はカフェオレを一口分、口に含む。仄かなミルク感に包まれたほろ苦さ。舌に苦味を残しつつ、甘い香りと共に香ばしさが鼻を抜けた。もう一口カフェオレを口に含みながら琴音は目の前のそれを見る。嫌がらせ程度のノリで頼んだデラックスジャンボパフェ。うん、大きい。どこから食べていこうか。大きなグラスに盛られた山の様なパフェはバニラアイスの上にチョコソースがかけられており、周囲を囲う様に輪切りのバナナや小さなクッキー、半分に切った苺が飾り付けられている。アイスの下には砕いた珈琲ゼリーと白玉、レーズンの入ったチョコレートムース、底にはシリアルが詰められていた。アイスの表面がうっすらと溶けて光沢を帯びているのを見て、溶ける前に食べなくてはとスプーンを手に取り白い雪山をすくうと口に運ぶ。冷たい。その冷たさが心地よく、舌に残った苦味が濃厚なミルクに洗われていく。純度の高い甘さが舌にまとわりつき、今度はその甘さをカフェオレの苦味で洗い流す。まろやかな舌触りで溶けたアイスは甘い香ばしさに変わり鼻を抜ける。見た目の満足感もさることながら、濃厚な一口は充分な満足感であった。美味しいが明らかに量が多い。一時の感情に流され頼んだデラックスジャンボパフェを踏破できるだろうか。躊躇いがちにスプーンで山を突き崩し理解した事は、シンプルながらバニラアイスは果物にも、クッキーにも、珈琲ゼリーにも負ける事なく美味しく食べ進められる事であった。 「ねぇ、星ちゃん。いーい?」 「うん?」 パフェを食べるのに専念して話を聞いていなかった。琴音は行儀悪くスプーンを咥えたまま、何の話かと隣の紗衣を見やり僅かに首を傾げる。視界の外、対面の席からカシャリと音がなりそちらを向くと、変質者がスマートフォンで堂々と盗撮している音であった。 「何してるんですか」 「え、今いいか聞いたらうんって言ったよね?」 「上の人に話す時、どんな子かわかるように一枚写真欲しかったんだって」 「……私、モデルやりたいなんて言ってない」 「えー、モデルの星ちゃんみーたーいー」 「みーたーいー」 「気持ちの悪い声真似はやめてください」 「やっぱり嫌かな? 僕から無理強いはできないから駄目そうなら写真は消すけど……」 スマートフォンを眺め短く唸った変質者は二人に画面を向ける。堂々と取られた盗撮写真にはスプーンを咥えた、あどけない表情で頬を綻ばせている琴音が写っていた。 「もったいないかなって」 「あ、これ可愛い。九十九さんください」 「ごめんね、これは会社で支給されてるから仕事関係の人以外と連絡先交換出来ないから送れないんだよね」 「それって星ちゃんがモデルやってみるって言ったら?」 「業務連絡の為に連絡先を教えてもらうかな」 「星ちゃん、今回だけで良いからモデルやるって言って」 「私経由で私の写真貰うつもりなの?」 ため息をついた琴音はむぅと唇を尖らせたあとにチョコレートムースを口に運び、ねっとりとした甘さをカフェオレで飲み下す。 「……はぁ、今回だけだからね? 甘いもの奢ってもらいましたしお礼代わりです。どうせ無駄でしょうけど、モデルの件確認してみてください」 「ほんと? ありがとう。僕は口が上手いからね。君も許可してくれたし、上の人は丸め込むから一回はモデルしてもらうね。紗衣ちゃん、たぶん一週間以内に琴音ちゃんから写真は貰えると思うよ」 変質者は琴音と連絡先を交換すると伝票を手に取り、席を立つ。 「それじゃあ、僕は先に出るからゆっくりしてね」 立ち去る変質者に会釈をして、琴音はパフェを見るが既にお腹がいっぱいである。無言で紗衣の前に差し出すと喜んで残りを食べ切ってくれた。 たった一回の軽率な返事。 一回なら珍しい経験だと琴音は自分に言い聞かせたが、まさか向こう数年変質者と関わり続ける事になるとは知る由もなかった。