──僕は幽霊を定義する。

  1. 生命体ではない。
  2. 透明、または透けている。
  3. 触れる事はできない。
  4. 会話程度の意思疎通は可能。 幽霊は存在するのか。 いや、そんなものはいない。 あんなものはエンタメだ。 話を楽しむ、楽しませるもの。 そう思っていた。 僕は今年入学した高校で、オカルト部を立ち上げるつもりだった。 何故なら幽霊の存在は信じないけどエンタメとしては好きで、趣味の一つと言えるからだ。 そんな中、まさか僕の考える幽霊論を揺るがす存在に出会うとは思っていなかった。 ──季節は春。 雪も溶け日差しが暖かくなった今日此頃。 僕は近場の高校に進学した。 選んだ理由は特にない。 家から近くて僕の学力でも問題なく入学できる高校だったから、そこにした。 その日入学式を終えた後、例によってホームルームで今後の簡単な説明を受け解散する。 僕の左隣は空席だった。 黒板に貼られた座席表には、幽谷霊子と書かれている。 入学式から休むとは彼女も運が悪い、体調を崩したのかのかもしれない。 帰り際に黒板を眺め、何となくそう思うと僕は帰宅する事にした。 翌日、左隣は変わらずに空席だった。 もしかすると、いわゆる不登校なのかもしれない。 他人の生活に興味はないが在籍しても登校しなければ、日数が足りず留年してしまう。 それとも本当に体調が悪く入院しなければならない状態なのか。 入学後初の授業は当たり前のように今後の話や簡単な自己紹介から始まった。 元気な人や内気そうな人、快活な人やくぐもった声の人。 僕はみんなに聞こえる程度に無難な自己紹介を済ませると、オカルト部について考える。 部活となると5人以上は必要だ。 正直な話同好会でも構わない。 むしろ話が合う人だけいれば良いのを考えると同好会の方が良いのかもしれない。 「ありがとうございます。では、次の人」 不意に意識が戻ると左前の人が座る所だった。 ……まったく聞いてなかった。 でもまぁ、3年もある。クラス替えで離れるとしても一年は時間があるんだ。その内覚えられる。 楽観的な考えで頬杖を付きながら、なんの気無しに空席を眺めた。 「はい、えっと……。幽谷霊子です。よろしくおねがいします」 拍手の後、先生が次の人に自己紹介を促した。 ──何だって? 僕は反射的に丸めた背中を伸ばして周囲を見る。 誰一人として違和感を抱く人はいなくて、何事もなく自己紹介は進んでいた。 改めて空席を見る。 確かにその空席から声は聞こえた。 でも幽谷霊子を名乗った彼女どころか、椅子も動いていない。 荷物もなく、そこには綺麗に整った机と椅子しかなかった。 その日は混乱する頭と、無理にでも理解しようとする理論。不可思議な現象による恐怖と好気。全てがない混ぜになり、オカルト部の事など頭の中から追い出されていた。 数日過ごしてわかったのは、この幽霊は僕にだけ幽霊なようだ。 僕は彼女を認識できない。 正確には声以外、彼女の関わる事の全部が見えないのだ。 椅子は動かないし荷物はない。クラスの人と話してるのはわかるが、ふざけ合っているのを見ても一人芝居に見える。 もちろん、ご飯を食べている姿も見る事はできない。 賑やかなクラスは幽霊を無害と認識させる。 数ヶ月も経てば自分にだけは認識できない不思議な存在も、そういうもんなんだと無理やり納得させていた。 席が隣ということもあり、挨拶や世間話を重ねることで単純接触が増えた結果、彼女に心を開いているのに薄々気付き始めていた。 そうなると僕も健全な男子高生なわけで、それなりに仲の良い女子は気になってくるもの。 とりわけ、僕にとって彼女は不可視の幽霊だ。 他の人が見ることで得られる情報が何一つ手に入らない。 僕が持つ情報は柔らかい声と、なかなかノリのいい性格という事くらいであった。

──季節は夏。 熱くてかなわない今日此頃。 冷房のない教室は窓を開けても空気は流れず、冷風を運ぶこともない。 例え夏服でも暑いものは暑い。 授業中の黙らないとダメな空間は、より暑さを感じさせた。 先生を含め、教室にいる人は少なからず汗をかき不快そうにしている。 そんな中でも左隣は涼しい顔。 いや、見えない。 汗をかいているのか、いないのか。 何一つ情報を寄越さない彼女は変わらずに透き通る肌を見せつける。 「ねぇ、ゆーれいちゃん」 「なーに?」 僕達は先生に気付かれないように小声で会話をする。 「暑くない?」 「暑いねー、夏だからねー」 やはりと言うべきか、僕が彼女をゆーれいちゃんと呼び始めた頃、中学校でも言われたよと笑われた。 その楽しそうな声音は自身が幽霊と呼ばれることを楽しんでいるようにも聞こえた。 「夏って好き?」 「なにそれー。まぁ、好きかな? 蒸し暑いのは嫌だけど、日陰に入ると涼しい暑さは好き」 「あー、わかる。くっそ暑い日なのに日陰に入ったら風が冷たいとか良いよね」 「うん、いいよねー」 授業中でも世間話にのってくれる付き合いの良さ。僕はふと、幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉を思い出した。うん、彼女とは似ても似つかない。彼女は枯れたススキとは程遠い存在だった。 「夜とか蒸し暑いのやだよねー。眠れないし」 「やだよね」 「そういえば、こないだテレビの特番で怖い話してたけど見た?」 僕はどきりとした。 何かを探られている? 変な接し方をしていた? 自身の負い目から出た考えを振り払うように、やや遅れて僕は返事を返す。 「うん、見たよ。怖い話好きなんだ」 「そうなの? じゃあ、幽霊とか信じる?」 彼女の何気ない一言が僕を一歩一歩追い詰めているような感覚。もう授業中なのを忘れて僕は言葉を選んでいた。 「信じてないよ。怖いもの見たさって言うのかな? 単純に怖い話が好きというか」 「そうなんだ。私は信じてるよ、幽霊」 自分の脈が早くなるのを感じていた。 ゆーれいが幽霊を信じている。 悲劇か、喜劇か。 僕の話し相手のゆーれいは幽霊を信じていると言う。 「見たことあるの?」 「ないよー。でも、いたら良いなって」 「何で?」 「んー、何か面白そうじゃない? 怖いのは会いたくないけど」 そう言った彼女はきっと、はにかんだ笑顔を受けべてるんだろうなと僕は思った。

──季節は秋。 鬱陶しい暑さが過ぎると急な肌寒さから、夏が恋しくなる今日此頃。 夏休み明けに席替えがあり、彼女とは席が離れてしまった。それを残念に思うのはどういった心境か、心の整理に費やす秋の夜長。もしかすると僕は彼女に恋をしているのだろうか。確かに彼女に会ってからは、彼女の事を多く考えている。だが、それは彼女が見えないことから来る興味のはずだ。物珍しさから来る好奇心、見えない彼女に対する探究心のはずだ。 そんなある日、特番で見た怖い話で透明人間の話があった。 ──何故見落としていたのか。 そうだ、彼女は幽霊ではなく透明人間かもしれない。 その違いに何も見いだせないが、何か一歩踏み出せた気がした。透明人間であれば見えないだけで生命体だ。僕の定義した幽霊からは除外される。その答えに希望を見つけた気になったが、すぐにそれはないと気付く。彼女とは会話は出来るが何かをしている事を見る事ができていない。それは見えないだけの透明人間とは決定的な違いだった。彼女に支配された脳内は、僕にしては珍しく怖い話を特集した番組の内容を記憶できずに次の番組に移っていた。 寝る準備を済ませ布団に入る。 暗闇に飲まれた自室は、遠くで内容の聞き取れないテレビの音を届けてくれた。 丁度いい雑音は目を閉じた僕の思考を明確にしていく。 僕は改めて定義を考えた。

  1. 生命体ではない。
  2. 透明、または透けている。
  3. 触れる事はできない。
  4. 会話態度の意思疎通は可能。 1は保留、2と4は該当、3は……。 試した事がなかった。 クラスの女子とじゃれ合っているのを何度も見ていたから、触れると思いこんでいた。 もしかすると彼女を見ることができない僕は、彼女に触れる事はできないのか。 どうする、確かめるか。 確かめるにせよ、僕は彼女が見えない。 会話することである程度の位置は把握できる。 でも、身長も体型もわからないまま手を伸ばして変な所を触ってしまったら……。それは不可抗力だ、仕方ない。決して触りたいわけではない。見えないのだから事故は仕方ない。脳内で誰かに言い訳をする自分にほくそ笑む。色めき立った脳内は別の事を考え始めていた。もし、彼女が透明人間だったら服はどうしているのか。妄想は都合よく他人を消して暴走し始めていた。今まで何事もなく会話をしていた彼女が裸だったらと考え、頭を振った。 違う、僕はこの現象を解明したい。少しでも理解したいだけなんだ。彼女に触れたら幽霊ではない証明になる。 逆に触れなかったら……。 それが僕を後押ししない唯一の理由であった。

──季節は冬。 湿っぽい冷気が肌を濡らす今日此頃。 彼女の息は白く見えるのかと期待して、予想どおり見えなかったことに肩を落とす。 あぁ、もう一年が終わる。 何も進展しない一年だった。 いや、多少の進展はしている。 僕は彼女と友人と呼んでもいい関係を築けている自負があった。 席が離れてからは授業中に世間話はできない。僕からは彼女がどこにいるのか分からなくなっていた。それでも彼女は朝の挨拶や休み時間、帰る前などに声をかけてくれるのだ。それに応えるために、僕は大抵自分の席にいた。そこに居れば彼女が声をかけてくれるのをわかっていたからだ。 でも、当然の如くクラスのみんなは僕よりも上手く関係を築けている。 それは当たり前のことだった。 クラスの人からすれば彼女は見えるし触れる普通の人間で、積極的に付き合いを持てるのだ。しかし、僕にはそんな積極的な事はできない。僕には彼女がどこにいて何をしているのかもわからない。僕から出来るアプローチは授業中の世間話のみなのだ。それでも未だに話しかけてくれる彼女の事を思えば、成果は上々と思えた。 放課後、今日は彼女を待たずに学校を出た。 見た感じ女子グループで話しているような気がしたからだ。 雑踏の中、白い息をこぼしながら歩く。 頬に冷たいものが触れた。 僕は足を止めて、空を見る。 白い息が溶ける中、雪が振り始めていた。 それは進展のなかった一年を、唐突に思い出させて僕を焦らせる。 ──あぁ、来年にはクラスも違うかもしれない。 そうなると僕には彼女を見つけることは無理だろう。 この不思議な現象は、この整理のつかない気持ちは、このまま溶けて消えてしまうのか。 「……いやだなぁ」 「なにがー?」 僕は思わず声に振り返る。 そこにはまばらに歩く生徒しか見えない。 「どーしたの?」 「ゆーれいちゃん?」 「もー、寝ぼけてるの? もう一年位は同じクラスなのに」 クスクスと息が漏れるのが聞こえた。 ……そうか、僕は彼女の笑顔を見たいんだ。 ようやく気持ちの整理がついた僕は、彼女との関係を進展させるべく勇気を持って口を開く。 「ねぇ、ゆーれいちゃん。僕とオカルト同好会作ろうよ」