──僕は幽霊を定義する。
──季節は夏。 熱くてかなわない今日此頃。 冷房のない教室は窓を開けても空気は流れず、冷風を運ぶこともない。 例え夏服でも暑いものは暑い。 授業中の黙らないとダメな空間は、より暑さを感じさせた。 先生を含め、教室にいる人は少なからず汗をかき不快そうにしている。 そんな中でも左隣は涼しい顔。 いや、見えない。 汗をかいているのか、いないのか。 何一つ情報を寄越さない彼女は変わらずに透き通る肌を見せつける。 「ねぇ、ゆーれいちゃん」 「なーに?」 僕達は先生に気付かれないように小声で会話をする。 「暑くない?」 「暑いねー、夏だからねー」 やはりと言うべきか、僕が彼女をゆーれいちゃんと呼び始めた頃、中学校でも言われたよと笑われた。 その楽しそうな声音は自身が幽霊と呼ばれることを楽しんでいるようにも聞こえた。 「夏って好き?」 「なにそれー。まぁ、好きかな? 蒸し暑いのは嫌だけど、日陰に入ると涼しい暑さは好き」 「あー、わかる。くっそ暑い日なのに日陰に入ったら風が冷たいとか良いよね」 「うん、いいよねー」 授業中でも世間話にのってくれる付き合いの良さ。僕はふと、幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉を思い出した。うん、彼女とは似ても似つかない。彼女は枯れたススキとは程遠い存在だった。 「夜とか蒸し暑いのやだよねー。眠れないし」 「やだよね」 「そういえば、こないだテレビの特番で怖い話してたけど見た?」 僕はどきりとした。 何かを探られている? 変な接し方をしていた? 自身の負い目から出た考えを振り払うように、やや遅れて僕は返事を返す。 「うん、見たよ。怖い話好きなんだ」 「そうなの? じゃあ、幽霊とか信じる?」 彼女の何気ない一言が僕を一歩一歩追い詰めているような感覚。もう授業中なのを忘れて僕は言葉を選んでいた。 「信じてないよ。怖いもの見たさって言うのかな? 単純に怖い話が好きというか」 「そうなんだ。私は信じてるよ、幽霊」 自分の脈が早くなるのを感じていた。 ゆーれいが幽霊を信じている。 悲劇か、喜劇か。 僕の話し相手のゆーれいは幽霊を信じていると言う。 「見たことあるの?」 「ないよー。でも、いたら良いなって」 「何で?」 「んー、何か面白そうじゃない? 怖いのは会いたくないけど」 そう言った彼女はきっと、はにかんだ笑顔を受けべてるんだろうなと僕は思った。
──季節は秋。 鬱陶しい暑さが過ぎると急な肌寒さから、夏が恋しくなる今日此頃。 夏休み明けに席替えがあり、彼女とは席が離れてしまった。それを残念に思うのはどういった心境か、心の整理に費やす秋の夜長。もしかすると僕は彼女に恋をしているのだろうか。確かに彼女に会ってからは、彼女の事を多く考えている。だが、それは彼女が見えないことから来る興味のはずだ。物珍しさから来る好奇心、見えない彼女に対する探究心のはずだ。 そんなある日、特番で見た怖い話で透明人間の話があった。 ──何故見落としていたのか。 そうだ、彼女は幽霊ではなく透明人間かもしれない。 その違いに何も見いだせないが、何か一歩踏み出せた気がした。透明人間であれば見えないだけで生命体だ。僕の定義した幽霊からは除外される。その答えに希望を見つけた気になったが、すぐにそれはないと気付く。彼女とは会話は出来るが何かをしている事を見る事ができていない。それは見えないだけの透明人間とは決定的な違いだった。彼女に支配された脳内は、僕にしては珍しく怖い話を特集した番組の内容を記憶できずに次の番組に移っていた。 寝る準備を済ませ布団に入る。 暗闇に飲まれた自室は、遠くで内容の聞き取れないテレビの音を届けてくれた。 丁度いい雑音は目を閉じた僕の思考を明確にしていく。 僕は改めて定義を考えた。
──季節は冬。 湿っぽい冷気が肌を濡らす今日此頃。 彼女の息は白く見えるのかと期待して、予想どおり見えなかったことに肩を落とす。 あぁ、もう一年が終わる。 何も進展しない一年だった。 いや、多少の進展はしている。 僕は彼女と友人と呼んでもいい関係を築けている自負があった。 席が離れてからは授業中に世間話はできない。僕からは彼女がどこにいるのか分からなくなっていた。それでも彼女は朝の挨拶や休み時間、帰る前などに声をかけてくれるのだ。それに応えるために、僕は大抵自分の席にいた。そこに居れば彼女が声をかけてくれるのをわかっていたからだ。 でも、当然の如くクラスのみんなは僕よりも上手く関係を築けている。 それは当たり前のことだった。 クラスの人からすれば彼女は見えるし触れる普通の人間で、積極的に付き合いを持てるのだ。しかし、僕にはそんな積極的な事はできない。僕には彼女がどこにいて何をしているのかもわからない。僕から出来るアプローチは授業中の世間話のみなのだ。それでも未だに話しかけてくれる彼女の事を思えば、成果は上々と思えた。 放課後、今日は彼女を待たずに学校を出た。 見た感じ女子グループで話しているような気がしたからだ。 雑踏の中、白い息をこぼしながら歩く。 頬に冷たいものが触れた。 僕は足を止めて、空を見る。 白い息が溶ける中、雪が振り始めていた。 それは進展のなかった一年を、唐突に思い出させて僕を焦らせる。 ──あぁ、来年にはクラスも違うかもしれない。 そうなると僕には彼女を見つけることは無理だろう。 この不思議な現象は、この整理のつかない気持ちは、このまま溶けて消えてしまうのか。 「……いやだなぁ」 「なにがー?」 僕は思わず声に振り返る。 そこにはまばらに歩く生徒しか見えない。 「どーしたの?」 「ゆーれいちゃん?」 「もー、寝ぼけてるの? もう一年位は同じクラスなのに」 クスクスと息が漏れるのが聞こえた。 ……そうか、僕は彼女の笑顔を見たいんだ。 ようやく気持ちの整理がついた僕は、彼女との関係を進展させるべく勇気を持って口を開く。 「ねぇ、ゆーれいちゃん。僕とオカルト同好会作ろうよ」