──重罪人を囚える地下牢獄。  光の届かない無間の闇は、澱んだ空気と陰鬱とした冷気を孕んでいる。石畳の表面を撫でる様に冷気が流れ、カビ臭さを運ぶ以外に変化のない地下牢獄には生も死も剥奪された虚ろな存在が囚えられていた。  地下牢獄の最奥、鉄格子の先で頭を垂らし座している虚ろな存在には硬度だけを求めた無骨な鉄輪が首、手首、足首に嵌められていた。  両腕は天井から吊るされた鎖で持ち上げられている。首輪から伸びる鎖は真後ろの壁に飲み込まれて遊びが無く、両足首の鉄輪は互いの鉄輪と癒着し足を開く事すら許さない。帳の様に垂れる長い黒髪は無造作に石畳を黒く染めている。  今にも消えそうな虚ろな存在は、自由を奪う拘束具にて確かな存在として象られていた。  此処に罪人以外が立入るのは投獄の際に帯同する看守か、処刑の際に罪人を連れ出す処刑人のみである。  ──カツカツカツ。  石畳を叩く乾いた音が無限の闇に響き、誰かが開いた扉からは冷気が流れ込む。  足音は一つ、死神のみ。  誰の前で止まるのか。  それは死を確約された地下牢獄の罪人達が、生を感じる唯一の瞬間であった。  澱んだ地下牢獄を淀みなく進む死神。  手に持つランタンの中には無間の闇を照らす鉱石が輝き、ゆらゆらと揺らめく灯りは何かを探すように落ち着きがない。  彷徨うランタンと淀みない死神は最奥の牢獄にて足を止め、カラカラと何かを引き摺る音をたてた後にギシリと木材が軋む音を届ける。 「無様だな、魔王」  ランタンを持つ人間は金の髪を煌めかせて嘲るように笑いながら、鉄格子にランタンを立て掛ける。虚ろな存在と主を無間の闇から守るように仄暖かい灯りが滔々と揺らめいていた。 「これが貴様の憧れた人の世界だ。馬鹿な貴様のお陰で私は領地を得たよ」  魔王と呼ばれた虚ろな存在は、自分すらも存在しない世界に身を置き外界からの刺激に気づかない。 「貴様の憧れた世界は、貴様には過ぎた世界だったようだな。これが人間の世界においての貴様の立場だ。理解できたか?」  椅子に座る人間は両手を組み、前のめりになり語り掛けるが相手は反応を示さない。 「ふん、つまらんな。なぁ魔王。貴様に、貴様の憧れた世界を見せてやろうか」  ほんの僅かに虚ろな存在が揺らいだように見えたが、ランタンの灯りが揺らめいただけかもしれない。 「私に隷属しろ。そんな屑鉄に拘束される貴様を見てはいられないのだ。だが、野放しという訳にはいかないのはわかるな?」  投げかける言葉は虚ろな存在を、僅かに波打たせては通り過ぎいく。 「人間の世界から見れば、貴様ら魔界の住人は力が全ての無法な世界だ。人間の世界は定められた秩序からなる自由な世界。それを理解せずに私についてきた貴様は無知蒙昧と言わざるを得ない」  鼻で笑うと人間は懐から鍵束を取り出し、鉄格子の扉を解錠する。そのまま嫌悪感を与える摩擦音を立てて開いた開口部をくぐると、魔王の眼前に屈み込んだ。 「私が貴様の秩序になろう。貴様は私に隷属する事で自由を得る」  虚ろな存在の髪を無造作に掴み強引に顔を持ち上げるが、その瞳は虚空を見据えて今を見ない。 「私の物になれ。そうすれば貴様の憧れた世界を与えてやる」  何も見ていない虚ろな存在の瞳が徐々に焦点を定めていく。 「理解しろ、貴様は私の物だ。私以外の物に縛り付けられるなど認めん」 「……お前のせいだろう」 「貴様を私に隷属させる為に必要な過程だ。私もこんな貴様を見たい訳ではない」 「……構うな。もうどうでもいい……」  か細い声を凛とした声が払い落とす。 「何度も言わせるな。貴様は私の所有物だ、私の意に反する事は自由ではない」 「……勝手にしろ」 「既に買っている」 「……何を言っている?」 「魔王をかえる存在は私をおいて他にいないだろう」 「本気で言っているのか」 「だから言ったろう、私の物だと。貴様は私に隷属して自由を享受しろ。それが貴様の憧れた世界を生きる唯一の方法だ」