久方ぶりの目覚めの良さにゴス太衛門は大きく伸びをした。はらりと滑り落ちた外套からは肘の手前まで、脛の中程までが欠損し、傷口付近は炭化したように黒い。欠損部を補うのは簡素な義材。強度だけに拘り、帰りの道中で誂えた樫の義手義足。義手は力なく手を開いただけの形をした物で、義足に至っては足首まではそれらしい形であるが、その先はただ丸めただけの物であった。見上げた空は薄桃色をしており、どこか優しさを感じる色だった。 どこか遠くで風の音が聞こえる。 些細な環境音だけがゴス太右衛門の耳に届いた。 昨日までの華やかな演奏は鳴りを潜め、小さな貴族たちも見当たらない。晴れた思考で立ち上がり、再度大きく伸びをした。澄んだ空気が肺を満たし、体に巡る。清々しい朝と思えたのは人の世から逃げ、無駄なしがらみから開放されたからだろうか。 樫の義足をカツカツと鳴らし、辺りを歩く。 ーーあぁ、鬼ヶ島にも青空があるのですね 土地は変われど同じ空の下、当たり前の事に感慨深さを抱きながら鬼岩城に踏み入った。 結局昨日は外で寝てしまったが、元より目的地は此処なのだ。 とても自然に出来る物ではない岩で出来た巨大な塔。 勝手ながら鬼岩城と呼称したが名前があるのかもわからない岩の塔は天を刺すように先が細くなっている。元は尖っていたのかもしれないが、頭目が飛び出した際に砕け散った先は欠けていた。無骨な岩の塔ではあるが壁に沿うなだらかな坂を登ることで上階に上がることが出来、適度に窓代わりの穴が空いていた。 しかしながら部屋という概念がないのか、坂の先の一室は壁など存在せず丸々一つの空間であった。 なるほど、この塔は下の階を使う者にプライベートは存在しないと言いたいらしい。いくら人の世から逃げようと、人として生きてきたゴス太衛門には羞恥がある。幾ら小鬼相手だろうと、勝手に自分の空間に入られては気が休まらない。自分の事は棚に上げて上を目指した。幾らか登ると少しずつ部屋が小さくなっていく。程々の広さの階につくと、10の小さな貴族たちがまとまって眠っていた。 「……鬼も寝るんだ」 意外さが口から零れた。零れた言葉が地面で弾けるように貴族達が起き上がる。 寝ているとばかり思っていたゴス太衛門は短い悲鳴を上げた。 「我らの寝所に無断で踏み入ったにしては無礼な反応だ」 「あ、ごめんね。寝てるのかと思って……」 「何用か」 ゴス太衛門に群がるように立ち上がると詰め寄ってくる小さな貴族達。敵意はないようだが、無表情で見上げながら詰め寄られるのは些か恐怖であった。いきなり自分の部屋を探しに来たなど、図々しいにも程がある。如何に貴族達の機嫌を損ねないか。これが肝要だと踏んだゴス太衛門は、まずは片手でスカートの端をつまみ持ち上げると小さく頭を下げた。 「まずは非礼を。昨日は突然の訪問失礼しました」 貴族達はただただ黙って見上げている。 「私にも考えがあったとは言え一方的過ぎました。言葉を話せる方がいるとは露知らず、非礼な行為。改めて謝罪させて頂きます」 すみませんでした。と一度深く頭を下げるとスカートを離して頭を上げる。 「並びに感謝を、小さな貴族の皆々様。貴方方の奏でる演奏は人の世においても引けを取らない……。いえ、人の世においても勝る者がいるとは思えない卓越さ。その音色のお陰で久しぶりに、本当に久しぶりに安らかに眠る事ができました」 ありがとうございます、と謝罪よりも深く頭を下げた。 感謝も謝罪も本心であった。ただ順番を自分が優位にになる様に組み替えているだけ。嘘を付くとゴスロリ護身術にて折檻されるという攻めの護身術を何度か受けた事で、体が嘘をつけなくなっていた。嘘発見器なるもので9割は見抜かれて折檻される。残りの1割は誤解だけど折檻される。潔癖でなければ生きられない環境だったなぁと、下げた頭は過去を潜った。 頭を上げると困惑したような貴族達が互いを見合い意思の疎通をしているようであった。時折耳に届く小さなキィと言う鳴き声のようなものが、鬼の言語なのかもしれない。その鳴き声だけは、人間の言葉を話す貴族以外も使用していた。彼らの鳴き声が次第に力強くなる。何かを熱弁するように一人の貴族は訴えた。それに応じて他の貴族は頷いたり、鳴き声を返したり。幾ばくか喧騒の中佇んでいたゴス太衛門は、貴族たちの服が微妙に違うことかに気がついた。小鬼の見た目では見分けられないが衣類で判別はできるなと共存への一歩を一方的に踏み出していく。 「お主、名を何と申す」 「ゴスロリ太郎権左衛門と申します」 「……真か?」 「ええ、嘘偽りなく」 「面妖な……」 全く以て同感であった。 結局二人の真意は闇の中……。いや、恐らく言葉の通りなのだろう。あの二人が自分に嘘を付く訳がない。ゴス太衛門にとって二人の言葉は真実であった。 「まぁ、良い。だが長い」 「面妖な名前ですが、これでも愛着はあるもので」 「ゴス……? ロリ……? の意味はわからんが何故太郎と権左衛門など名前が並んでいる」 「私の御爺様曰くハイカラとの。外国では名前が3つほどの単語で出来ている国もあるようで」 「……ふむ? 太郎か権左衛門だけでは駄目だったのか」 「ゴスロリと権左衛門を繋ぐために太郎が必要だったようで。御婆様曰く侘び寂び、太郎があるからこそゴスロリに権左衛門が収まると」 「ほぅ、侘び寂びとな。なるほど……。ゴスロリ……、権左衛門……。ゴスロリ……太郎……権左衛門……」 自分の名前を噛みしめるように呼ばれ気恥ずかしい。 何かを確かめ合うようにキィキィと鳴き合っては頷いている。 「ふぅむ、これは中々……。お主の婆様は教養のある人物と見受けられる」 「え、ほんとに収まってるの? ゴスロリに権左衛門収まってるの? ゴスロリってそんなに寛容なの?」 「太郎は余程の片付け上手と見える」 御婆様を褒められて悪い気はしない。いや、鼻が高い。だが私に通じない何かで御婆様と貴族が理解し合っているのは、やや嫉妬を孕む。ゴスロリと言う収納箱に太郎が権左衛門を畳んで片付た。私の預かり知らない所で太郎の能力が判明する。 「して、太郎」 「そこ取るの? 初めてだよ、太郎を名前として呼ばれたの。私そんなに片付け上手じゃないよ?」 太郎を取り囲んだ小さな貴族はジリジリとにじり寄る。 「我らからも感謝を。久方ぶりの客人に我らも演奏に血が通った。魔性に墜ちようと未だ人を捨て切れぬは愛した雅楽のお陰であろう。人の身を捨て幾度星を見上げ故郷を想い、幾度桜を見上げ人の心を捨てようとした事か。故郷を忘れ、心を守るために奏で続けた音色こそ我らに貴族としての誇りを保たせた。お主の賛美は我ら魔性に堕ちた者を、永い時を超えて未だ我らを貴族と認めるものに相違ない」 ーーあぁ、我らは未だ人である。 小さな貴族達がどれ程の月日を過ごしてきたかは分からない。しかし、人から逸脱してからの日々は雅楽と共にあったのだろう。寿命のある人間では到底不可能な時間を雅楽に費やした事を物語る卓越した技巧。それは人に見放されようと人であろうとし続けた結果に他ならない。 小さな貴族達は小さく震えると涙を流し、キィと泣いた。

「そんな事か、好きにするが良い」 寝床の提供は難なく行われた。礼を述べ、上の階を目指す。後ろを付いてくる貴族達。初めは気にしない様にしていたゴス太衛門も、煩わしさを覚え立ち止まる。 「……なに?」 「気にするでない。寝床を決めよ」 釈然としないが、また歩き始める。カツカツと硬い足音と、世間話をする様な鳴き声が後ろから届いた。鳴き声が会話であるなら内容も気になる。混ざりたい。元より話すのが好きなゴス太衛門の意識は後ろへと傾いていく。 「ねぇ、何話してるの?」 「大した事はない、ただの世間話だ」 貴族を代表した返事が返ってくる。 「もぅ、私みんなの言葉わかんないの。教えて」 拗ねたような、年相応な言葉に貴族達は各々が鳴いた。 「何。こうして人間の娘を見るなどいつぶりか、昨日の演奏は楽しかった、急だったとは言え我らも悪い事をしたなと話していただけだ」 「……なんか普通」 「形は変われど我らは貴族。お主達と大差ない」 ふぅむ、そんなものなのか。 鬼の趣味趣向はわからないが、確かに人間であれば日常会話。形は鬼だが心は貴族のまま。通訳を挟みつつ会話が続く。ゴス太衛門にとって久し振りな世間話であった。 上まで行ったが部屋は貴族たちの寝床の2つ上とした。それ以上は上り下りに体力を使う。義足から伝わる衝撃は思った以上に体力を削っていた。貴族達も最後まで付いて回ると自分たちの住処へと帰っていく。自室を決めて落ち着いた所で、お腹が空いた。 そうだ、食べ物だ。 完全に失念していた。 くぅと鳴いたお腹は食べ物を所望する。 貴族達は恐らく飲食の類は行わない。 食べられるものを探しに下へと降りた。 2つ下の階では、また貴族が死んでいた。 「……趣味なの?」 「何用か」 「もしかして人の言葉使わないから語彙が消滅したの?」 今度は通訳してくれる貴族だけが体を起こしていた。 「お腹が空いたから、食べられる物探しに行くの」 「ここより外は我らより知性の劣る者しかおらん。出ては襲われるぞ」 「来るときも襲われた。適当にあしらうだけにしたけど」 「切ったのか」 「ううん、何か後味悪そうだから辞めた」 「そうか、感謝しよう。鬼とは我らも含め憐れなものだ。死んでなお消えない怨嗟が形となったものなのだ。我らには縋れる雅楽があった。しかし外の者には、それが無かった」 「鬼がいるだけ、死んでも消えない恨みがあるんだね」 悲しいけれど、私も鬼になるのだろうか。私に縋れる者はない。まぁ、それでもこの鬼ヶ島で死ぬなら悪くない。ただ人間から鬼に変わるだけ。 「しかし、そうだな。お主には食事も必要。私も行こう」 「食べられる物あるの?」 「それはわからん、我らも此処より久しく出ておらん。だが、外の鬼とは会話できる。何かしらの助けとはなるだろう」 立ち上がった小鬼はトコトコと足元まで来た。 この短い時間で無表情の小鬼に愛着が湧いたのか、ゴスロリ太郎権左衛門にはもう小鬼ではなく小さな貴族として認識されていた。