──勇者様、助けてください。  ──誰か、助けて……。  ──あそこには、父と母が……。勇者様、お願いしますっ!!  ──助けて、助けてよ!! 貴方、勇者なんでしょ!?  ──何で助けてくれなかったの? 「あああぁあぁぁぁああっっ!!」  脳内に木霊する声は、勇者を強制的に覚醒させた。  声にならない掠れた悲痛な叫びは、寝ていた勇者を跳ね起こす。握られた両手は悪夢を振り払うように持ち上げれ、全力で振り下ろそうとして脱力する。同時に腹部に込められた力も抜け、ゆっくりと息を吐いた。全身が脂汗でベタつき、息が荒い。肩が無意識に上下する。 「……くそ。くそくそくそくそくそっ……!!」  いつからだろう悪夢を見るようになったのは。いつからだろう頭の中で救いの声が響くようになったのは。  重い頭を落とすように項垂れ、頭が落ちない様に両手が支える。熱い息が手首を焼いた。  勇者はいつからか満足に眠れなくなっていた。思い返せば魔王を所有するまでは悪夢を見た覚えはない。 原因は魔王? 魔王が私に何かをしている?  考えられないわけではないが、あれだけ気力がない状態で何かをしているとは思いにくい。奴はそこまで演技が出来る奴ではない。だが、不安要素であれば取り除くべきなのは確か。  いっそ、殺すか?  持ち上げた頭は無意識に自身の愛刀を見やり、頭をふった。いや、駄目だ。何の為に魔王を自分の物にしたと思っている。一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐く事で呼吸を整えた。  微睡む脳内では助けを求める叫びが響き続けている。  思考が止まる度に、誰かの助けが脳内を支配する。  勇者の意思を無視した言葉は呪いに過ぎない。 ーー何が勇者よ、あんたが来ないせいで……。 ーー昨日魔族に襲われ、この街にはもう私を含め……。 ーー貴方じゃなければ助けられたかもね……。 ーー私の家族なんて助けられなくても貴方は勇者なのよね……。 うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい。 全身が震える。 汗に熱を奪われ全身が冷えた。 再度握りしめた両手は震えるほど力が込められ、血が滲む。 落ち着けた呼吸が短く早く、乱れていった。 ーーゆーしゃさま? おはようございまーす やめろ。 ーー大丈夫ですか? 無理はしないでくださいね やめてくれ。 ーー私の妻は……。いえ、ありがとうございました 思い出すな。 ーーこんな状況になるなら私も一緒に…… やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろ。 思い出すな、考えるな。 俺は勇者として出来ることをした、最善を尽くした。 引き摺るな、不毛だ。 忘れろ、記憶に蓋をしろ。 最善を尽くして何人死んだ? 本当に最善だったのか? 自分の命が大事だっただけじゃないのか? 世界の為を言い訳に見殺しにしたんじゃないのか? ーーあぁ、今日も人が死んだ。 ゆっくりと頭を持ち上げ、外を見る。 白みかけた空は、今日も朝を迎えようとしていた。 世界は勇者に興味がない。 勇者が居なくとも明日は来る。 世界は進む。 立ち止まっているのは自分だけ。 権力を笠に押し付けられた勇者 ーー国王に呼び出され任命されては断れるはずはない。私はただの一国民で、ただの人間だ。 世界を救え ーーただの人間にできる訳がない。自分は少し他人より強かっただけだ。 助けてください ーー助けるさ、私は勇者だ。だが……。 私を求めるな、私に責任を押し付けるな。 人の生死を私に委ねるな。 人は死ねば蘇る事はない。 私にできる事は限られる。 何故自分にできない事を私に押し付ける?

きっと今もどこかで人は死んでいるだろう。 だが私に責任を求める者はいない。 それはきっと、魔王を討伐したと連邦国家が宣言したからだ。 魔王という私に責任を押し付ける体のいい理由が無くなったからに他ならない。 魔王と会敵した時を思い出す。 鮮烈な存在感、圧倒的な力。 自身の存在など矮小なものだと自覚できる優美さ。 ーー私に魔王は倒せない。 会敵した瞬間に理解した。 ーー私は魔王を倒さねばならない。 なぜなら私は勇者だからだ。 逆しまな城の主は月下の元、髪を靡かせ輝く瞳で私を射抜いていた。 ーー息を飲んだ。 浮世離れした存在が私を見ている。 私に欠けた何かを満たしていく高揚感が胸に湧く。 私は自身の命を懸けて、魔王の一挙手一投足に注視した。 程なくして高揚感の理由が理解できた。 魔王は私を求めない。 当たり前だ、私は倒すべき敵なのだ。 魔王は私に求めない。 私の能力を凌駕する存在に、私は不要だろう。 魔王は私に押し付けない。 奴が私を殺すのは瞬く間の出来事だ。 奴は奴の力で私の命を奪うのだ。 そこに他人は介在せず、発生する責任は自分自身に帰属する。 圧倒的な魔王の前では勇者という肩書など無いに等しい。 私は魔王の前でのみ、勇者ではない私でいられる事を知った。 私は見つけた。 勇者という呪いを緩和する助けを。 私は欲した。 自身に責任を押し付けない存在を。 私は魔王に押し付けた。 私を救う勇者という存在を。

戦う事が無意味なのはわかっていた。 私は私の欲するものを手に入れる為に魔王に掛け合った。 幸い魔王は勇者である自分と人間の世界に興味を持っていのだ。 私はそれを利用して騙り、諭し、窘め、懐柔し、子供だましの刻印を魔王に刻みつける。 顔には出さないが胸が踊った。 私は私の為に魔王を手に入れることが出来たのだ。 些か時間はかかるだろうが必ず、魔王は私の手元に置く。 魔王は私の物だ。 私を救うためだけに私に縛られる。 他の物に縛られることは認めない。

今でも瞼の裏には初めてあった時の魔王が焼き付いている。 それは記憶と呼ぶには鮮烈で、思い出と呼ぶほど綺麗なものではない。 私は私の欲に従い魔王を手に入れた。 結果悪夢にうなされるのは勇者としての細やかな自責の念かもしれない。 しかし、それでも私は手に入れた魔王を手放すことなど出来ない事を理解していた。

いつも勇者の目覚めは最悪だった。 だが、だからこそ毎朝椅子に座る虚ろな存在を確認して安堵する。 ーーあぁ、魔王は私を救う為に存在しているのだと。