──高校最後の夏が来た。 あれから僕は何度か寺田先生と会っている。 だが、学校で会う事はほとんどない。 ゆーれいちゃんが夢であった人と言っていたが、恐らく気のせいだろう。 そもそも覚えていなかったと言うし、雰囲気が似ていただけかもしれない。 時永先生に聞いてみると寺田先生は現国の先生らしい。 よーかいちゃんも担当ではないとの事で、一年を受け持っているのだと思う。 17時前ではあるが、外はまだまだ明るい。 僕は帰り道、歩道橋の真ん中で足を止める。 寺田先生がいたからだ。 「こんにちわ」 「こんにちわ、先生。何でこんな所に?」 「見回りだよ。学生服で遊びまわってないかの確認。君も遊びに行くなら着替えてね」 「今日はもうまっすぐ帰りますよ」 「それなら大丈夫だね」 僕は寺田先生と仲が良い。仲が良いというのは言い過ぎかもしれない。ただ、個人的には話しやすい先生だと思っている。 「先生はもう学校に戻るんですか?」 「うん、一通り見てまわったからね。ここなら見つけやすいし、僕を見つけた生徒も堂々とは遊びに行かないだろうしね」 確かにここは大きい道路を跨いだ歩道橋だ。登下校に通る学生も多い。見つけるのも見つかるのも楽な場所であった。 「あ、そう言えば先生」 「何だい?」 「結局、怖い話聞いてませんでした。せっかくなので聞かせてくださいよ。もう戻るんですよね」 「あぁ、そうだったね。そうだね、それじゃあ一つ」
──曰く、この歩道橋の話。 君はこの歩道橋を普段から通ってるのかな。 この歩道橋で数年前にあった事件とか知ってる? えっと、確か3年前の事件だね。 この歩道橋で転落事故があったんだ。 名前は忘れちゃったけど、まだ若い女の子だったよ。 幸い病院に運ばれて一命はとりとめたんだけど、意識は混濁状態。 たまに意識が戻っては眠るって状態だったんだ。 当初は普通の転落事故、遊んでて落ちたって話だったんだ。 この辺は目撃者が多数いて、柵から滑り落ちる様に女の子が道路に落ちる所を見ていたらしいんだ。 意識を取り戻した女の子に家族の人が何で落ちたのか聞いたんだって。 そうしたら、歩道橋の上にいたおじさんと話した後、おじさんに落とされたって言うんだ。 でも目撃者達は歩道橋には女の子以外誰もいなかったって証言している。 順当に考えれば、女の子が錯乱していて勘違いしていた。 目撃者たちの歩道橋には女の子しかいなかったが正しく聞こえるよね。 「ねぇ、どう思う?」 ふいに先生が僕に話を振ってきた。 「どう……、ですか?」 「そう。オカルトが好きな君は普通の転落事故だと思う?」 「……本当にあった事故なんですか?」 「それも含めてどう思うかな? 調べても良いよ」 「んー、せっかくの怖い話ですからね。今調べるのは野暮ですよ」 そうだね、と先生は微笑む。 寺田先生は僕にオカルト的な見解を求めているのだろう。 なんせ僕はオカルト同好会の会員で、怖い話をねだった張本人だ。それならばまず前提を決めよう。 「僕は女の子の言葉を信じます」 「どうして?」 「目撃した人はきっと落ちる彼女だけしか見てなかったと思います。歩道橋から人が落ちる瞬間を見てしまっては、そっちに意識が行っても仕方ないかと。それでも現実的に考えれば気づかれなかっただけで彼女の言うおじさんは逃げただけかもしれません」 「普通の転落事故ではなく殺人だと?」 「いえ、きっとおじさんは彼女にしか見えていなかったんだと思います」 「幽霊って事?」 「僕は幽霊を4つの条件で定義しています。
「ねぇ、ゆーれいちゃん」 「なーに?」 「今日は同好会に来る?」 僕は昨日の決意を胸に、ほぼ確定で話せるタイミングを逃さない。 授業中以外、僕からゆーれいちゃんに話しかける事はこの3年間ほとんどなかった。 見えない彼女に対して僕が認識できるのは声のみ。 去年は違うクラスだったが、最後の年はまた同じクラスになれた。 最初は誰か休みかとも思ったが、そうではなく懐かしい景色に胸が踊ったものだ。 「んー、どうしよーかなー」 「来年、よーかいちゃんに勉強見てもらうんでしょ?」 「しつれいだなー」 「先行ってるからさ、来てよ」 「……ん、わかったー」 ゆーれいちゃんと約束を取り付けた僕は、以降放課後まで授業そっちのけで、何をどうしたいのかをシュミレートを繰り返して最善策を模索した。結果、考えるだけ無駄と悟った。 この3年間通い慣れたはずの廊下を歩き、空き教室へ行く。廊下は学生の喧騒に沈むが、窓から空を見上げれば学校は未だ青空に沈んでいる。感慨もなく扉を開けるが誰もいない見慣れた景色。しかし、それが感慨深くもあり何処か寂しいものであった。僕はドアを締めて定位置につく。ゆーれいちゃんの行動を含め声以外は認識できない僕には無意味な行為であったが、ゆーれいちゃん以外には有効であった。少なくとも他の人間は扉を開けて入ってくる事が認識できるのだ。だが、この3年で少しだけ変わった事もある。 「ねぇ、ゆーれいちゃん」 「……んー」 「何で黙ってるのさ」 僕はこの空間、空き教室においてのみゆーれいちゃんの存在を何となく認識できるようになっていた。 「黙ってたってゆーか、話があるのはそっちだよね?」 「まぁ、そうだね」 「それで話ってなにー?」 「いや、去年は色々あったなぁって」 「そーだねー。もうすぐ最後の夏休みだねー」 「うん、良い季節だよね。最後だし何かしよっか」 「あー、そういう話? 時永先生とかよーかいちゃんと心霊スポット行く?」 「うん、いいね。楽しそうだ」 「私も勉強したくて、こっちにあんまり来なくなっちゃったし」 「同好会の会長のくせに」 「うるさーい、いそがしーのー」 駄々をこねるような口調に思わず笑ってしまう。きっとそれは僕にとって一つの区切りだったように思う。 「ねぇ、ゆーれいちゃん」 「なーにー?」 「僕さ、結局3年かけてもわからなかった事があるんだ」 「オカルト?」 「うん、オカルト」 「わからないのは醍醐味じゃない? オカルトが解明されるのは興醒めかなって」 「そうだよね、だからずっと悩んでたんだ。どうしようかなって」 「あはは、悩んでもオカルトの答えなんて見つかんないよー」 「その不毛な時間が楽しいんだよ」 「あー、わかるなぁ」 「ねぇ、ゆーれいちゃん」 「んー?」 「同好会楽しかった?」 「うん、楽しかったよ」 上機嫌に答えるゆーれいちゃんはきっと笑っているのだろう。 「そっか、よかった。同好会の話のってもらえて嬉しかったよ」 「どーいたしまして」 「ゆーれいちゃんが居てくれたから同好会は上手くいったんだ」 「そーかな、私は申請と教室を確保しただけだよ」 「うん、お陰でここを使えてゆーれいちゃんと色んなオカルト談義ができた。本当に楽しかったよ」 「もー、どーしたのさ急にー」 「ねぇ、ゆーれいちゃん。ゆーれいちゃんは僕の事見えてる?」 「何言ってるの? そりゃあ見えるよ」 「そう。僕にはゆーれいちゃんが見えないんだ」 「は?」 まるで冷蔵庫を開いたときのように、何となくゆーれいちゃんの存在が冷たく変化したように感じる。それは寺田先生が初めてここに来た時に感じたものと似ていた。 「もう付き合い3年あるのにいきなり何?」 「入学した時、最初隣の席だったよね。その時から僕はゆーれいちゃんの声は聞こえるんだけど、一度も姿が見えていないんだ」 「何かの冗談?」 「冗談じゃないんだ。今も見えない。それどころかゆーれいちゃんが関わる事象は何一つ僕には見えない。ドアを開けるところも椅子を引くところも。僕から見るとね、この空き教室は僕の座る椅子以外は綺麗に揃えられたままで人が座るスペースが確保されていないんだ。声で大体の場所はわかるけど立っているのか座っているのかもわからないんだ」 「何、そんなに私の事をいない事にしたいの?」 「違うよ、本当に……」 「私のこと嫌いだった?」 「そんなわけ無いだろ、それなら声かけて同好会なんてやろうと思わない」 「ふーん、そっか。私に声かけたのは趣味が合うからとかじゃなくて、オカルトの観察対象としてだったんだ」 「っ……。それもあるけど、僕はゆーれいちゃんが──」 「つまんない、帰る」 冷えた存在が空き教室から出て消えた。慌てた僕は空き教室を出て廊下を見渡すが、ゆーれいちゃんを見つけることが出来ない。できる訳がない。空き教室から出ては存在を感じることもない。一人取り残された僕は胸にわだかまりを抱きながら、豹変したように感じたゆーれいちゃんが気がかりであった。 最後の夏休みは目前。 暑さも増し蝉時雨が激しさを増し始めた夕暮れの校舎。 ゆーれいちゃんは僕の前から存在を消した。