「寺田、昨日で終わりだろ?」 隔離された部屋で、 ご丁寧に入学式らしい装飾とパイプ椅子が並んだ体育館の画面を眺めていると矢島先輩が声を掛けてきた。 「あれ、お疲れ様です。先輩、何でここに?」 「俺の台詞だろ。昨日で終わりのはずなのに戻らないから、副局長に見て来いって言われたんだよ」 「あぁ、そうなんですね。局長には内線で連絡しましたが不在でして。まだ副局長にも話してないんですけど」 言葉を区切った寺田は椅子を動かして、PCの前を空ける。矢島も画面を覗き込むが何の変化もない。 「何かおかしいのか?」 「そもそもこの映像自体が未だに映るのがおかしいんですよ」 「説明してくれ」 「自分が1ヶ月ここに詰め込まれた仕事って捕獲した霊体の観測だったんですけど、ある程度こっちで改竄した記憶がどう反映されるかを、その霊体を通して主観的に確認するものだったんです」 パサりと手元にA4サイズの紙束を差し出された矢島は軽く目を通す。 「それには高校3年間の内で改竄した内容が書かれています」 それと──。 言葉をつなげながら、一冊のノートを寺田はめくる。 「こっちが今日までの観測記録です」 「改竄内容よりもかなり多くないか?」 「そもそもがややこしい事になってたみたいでして」 矢島は改めて紙束に目を落としながら寺田の話に耳を傾けた。 被検体:幽谷霊子 享年:15歳 死因:歩道橋からの落下及び走行車との追突による自殺 業務内容:記憶改竄により被験体に表れる変化の観測 備考:相貌失認 「そこに載ってる内容には書いてないんですけど、被検体は高校入学前に亡くなってるんですよ」 「あー、ややこしい事になってんな。まぁ、局長が持ってくんなら碌なものじゃないだろうけどよ」 「はい。そもそも存在しない記憶をどう改竄するのかはわかりませんが、そのせいで観測記録も増えまして」 「それで、何で映像が続いてるのがおかしいんだ?」 「今回の観測は主観で行うもので、被験体の記憶を元になぞらえて行われました。そもそも無いはずの記憶を主観で観測させるのも意味はわかりませんが、それ以上に局長が高校卒業までで終わりと言っていたのに、まだ被験体の記憶が続いているのがおかしくて」 「無い記憶は映せないはずってことだよな」 「ええ。高校卒業って言葉を局長が使ったって事は、そこまでは無い記憶を被検体が保持しているって事でしょうけど、それが未だに続いている理由がわからなくて」 「……他に変化は」 「特筆すべきことが一つ、事前情報にも改竄内容にもない存在が被検体の記憶に存在しています」 「死ぬ前までの記憶じゃないのか?」 「いえ、被検体はその存在の事をゆーくんと親しげに話していましたが被検体はずっといじめられていたようで、ゆーくんと呼ぶような友達はいませんでした」 「無い記憶を改竄した結果発生したバグみたいなものか」 「自分も整合を取るための存在かとも思ったんですが、そうなると何と整合を取るためのものなのかわからなくて」 「……そうだよな。そもそも無い記憶を改竄って事は齟齬も何も無いよな」 「ええ、そうなると何かが紛れ込んだ可能性が高いかと」 「報告には」 「纏めてあります。本来は今日提出で終わりでしたが、こっちが終わってなくて……」 画面からチャイムがなる。 それは大人になると聞く機会は減るが、聞き馴染みのある懐かしい音だった。 体育館と異物以外映らない画面からは次第にガヤガヤとした雑踏の様な音が漏れ始めていた。 「……これは一番始めと同じなのか」 「そう、ですね」 「昨日で終わりのはずなんだよな」 「……はい」 「誰の記憶を見ているんだ。卒業したら最初に戻る仕様じゃないのか?」 先輩の言葉に寺田はなるほどと頷いた。 「あぁ、そうかもしれません。無い記憶をループさせているんですかね」 はぁと短い息を吐いた矢島は手近な椅子を引いて腰を下ろす。確認作業に付き合ってくれると理解した寺田は内心の心強さに頬を僅かに綻ばせた。 矢島はノートに書かれた観測記録を手に取り最初の報告書に目を通す。なるほど、学生時代を思い出す良くある光景だ。 「なぁ、何で体育館は映るのに人は映らないんだ?」 「それがですねぇ……」 机に頬杖をついた寺田は含みのある言葉を残して画面に視線を送る。矢島も画面のぼんやりと体育館を見ていたが、何時からいたのか礼服を着た学生が一人だけ現れていた。黒く塗りつぶされた顔はこちらを見つめているように思えた。 「……ん?」 矢島は眉を寄せたあとに報告書を読み進める。初日の最後の方に、唯一映像に映る存在として男子学生が挙げられていた。 「こいつか」 「そうです」 「何でこいつは映るんだ」 「一応、考察はしました。今回の観測は無い記憶を被験体の主観で観測するものでした。つまり、無いものは想像しかできないので一般的な教室や体育館、入学式の雰囲気とかは被験体の存在しない記憶でもイメージ出来たと思うんです。ですが、同級生や先生は実際に会わないとどんな人かわかりませんし、優しい先生が良いとは思っても中々映像化できるほど容姿の具体的な想像ってしませんよね。だから会った事がない人は映らないと思うんですよ」 「そうなるとこいつだけは明確に想像された記憶の可能性があるのか」 「自分はそう考えました。多分、亡くなる直前まで明確に想像していたのかと」 「それなら被検体の主観において姿が見えるのは納得できるな」 矢島は胸ポケットからタバコを取り出すと咥えて火を付ける。 淀みない動作は禁煙と書かれていなければ、どこでも吸っていいと考えているに違いない。一口深く吸ったあと、薄く白い煙をゆっくりと口から吐く。 「ただ顔が何故か黒いんですよね、そこまで明確に想像できなかったのかもしれませんが」 「備考読めよ。死因が自殺ってのはまぁ、あの局長だしな。たぶん被検体は局長がやって捕まえたってことなんだろうな」 必要箇所以外は省かれている様で入学式が終わると教室に切り替わり、午前だけで終わりのオリエンテーリングが映されれていた。 「ここで働いてる自分が言うのもおかしいですが、ここって比較的マシな場所なんですよね?」 いつも通り不味そうにタバコを吸う矢島に寺田は問いかける。矢島は答え倦ねるように声を吐いた。 「あー、まぁ、うん。まぁ……マシだな。うん、マシだ」 「不安になる言い方やめませんか」 「いや、マシだよ。だいぶ倫理的。えっと、ほら。改竄記録の中に狐の話あったろ。あれはG支部の仕事だ」 「狐の神様ですね。あれって何なんですか?」 「何ってそのままだよ。狐を媒体に神様を作ろうとしたんだよ。あそこの支部は偶像を実在に変換させる事ばっかりするからな」 「そうなんですね。神様作ったなんて新興宗教興せますね」 「あのなぁ……。改竄内容見た限り、お前が聞いた話は実際の記録だぞ」 「人が狐になって、今も神様がいるっていうのが?」 「あそこはお前の言った通り狐の神様を作ったんだよ。人の想像する神様が狐の姿をしてる訳じゃなく、媒介にした狐がそのまま神になったんだ。俺達が狐を見て動物だと区別するように、その狐から見れば俺達は動物として区別される存在だったわけだ」 「……どういう事ですか?」 「俺たちが想像する神様は、俺達が想像するんだから人間贔屓になるって話だ」 「それって狐の神様は狐本位の神様って事ですか?」 「昔話にも動物が人になる話があるだろ? あれと同じだ。狐から見れば自分達の方が上位の存在として認識していたから、人間を自分と同じ狐に変えたって話だ」 「え、今も村には神様がいるって……」 「管理できなくなったみたいだな。要するに不法投棄、ポイ捨てだ」 「それが本当なら生きた人間が狐に変わって、今も野放しって」 「な、うちはマシだろ?」 「それを聞くと確かにマシな気もしてきました」 「あの狐に関しては狐の嫁入りって呼ばれてるんだけど、狐が人間を変異させるにあたって人間の血が不浄らしい。その血を綺麗にするために一旦全ての血を抜いて、空に持ってって綺麗にした後に赤い雨を振らせて人間に戻す。その儀式を経て人間は狐になるって話だ。血の雨とか嫁入りじゃなくてカチコミだよな」 鼻で笑いながら矢島はタバコの火を携帯灰皿に押し付けて揉み消した。 「まぁ、何だ。支部によって全体的な方針というか特色が変わるのは支局長のせいだ。ある程度の振り分けは本部でするようだが、その振り分けの中でどんな実験をするかは支局長に依るところが大きい。エグさならAとDが断トツだな」 「Gはどうなんですか?」 「厄介さはあるが、比較的安全な方だな。土着信仰とかをメインで扱うから被害が局所的に収まりやすい」 あれで安心とは倫理は留守のようだ。矢島は大きく伸びをすると画面を一瞥して立ち上がる。 「局長と副局長には俺から報告しとくから、とりあえず観察と報告書は継続してくれ」 「えー、もどるんですか?」 「俺、今日から出向なんだよ。A支部に」 「エグいところ?」 「エグいところ。俺、生きて帰れるかなぁ」 ぼやく矢島を送り出した寺田は報告書を纏めるためにPCのキーボードに手を置き、画面を見て固まった。異物は画面の、監視カメラの目の前に立ち画面を黒く染めていた。