エルニアの言った通り里に敵はいない、一人を覗いて。会う住人全てが好意的で、好奇の塊であった。何故来たのか、どこから来たのか、外で何をしているのか、何故手をつないでいるのか。様々な質問が飛び、ムゥマも答えられるものは答えてくれた。それでも自分しか答えられないような質問もあり、何日分も話したと溜息をつく。一頻り応答が終わり、人だかりが捌けると子供のエルフが数人足元に残っていた。 「ねー、兄ちゃん。兄ちゃん、魔王様の護衛なの?」 「……あぁ、そうだな」 「じゃあ強いの?」 「どうかな。あんまり城まで来る人はいないんだ」 「それ使うの?」 子供の一人が腰に下げた鞘を掴む。 「そうだ。危ないからあんまり触るなよ」 そうは言いつつ、鞘を押えてゆっくりと抜刀する。子供の頭上では銀色の刀身が光を弾いていた。 「すげー」 「かっこいー」 「うぅ、でもそんなの触ったら怪我しちゃうよ?」 「あぁ、そうだ」 子供に見せた刀身を鞘に収めると、抜けない様に鞘と柄を握り屈む。 「外は危ない事も多いんだよ。そう言う時に自分を、誰かを守る時に使うんだ」 「そうなの?」 「……ここは平和だね。外も平和だとこんな物は必要ないんだよ」 「じゃあここではいらないんだね」 「里長パワーかぁ」 「あのおじさんいっつも自分のお陰だって言ってるよね」 「何やってるか分かんねーのに何か偉そうだよなぁ」 「父様、小さい子相手に何やってるの?」 「……良い事だな」 手を振って離れて行った子供たちにケルザも反射的に小さく手を振ってしまう。それを小首を傾げてムゥマは眺めていた。 「せんぱいさんって何だか変ですね」 「何がだ」 「私達には素っ気ないのに、小さい子には優しいというか……。何か無理してませんか?」 「……気のせいだろう。この里が良い所だから気が緩んでいるだけだ」 「母様も警戒を解くように言っていましたし、気が緩んでいるのは良い事だと思いますけど」 納得がいかず唇を尖らせるが、まぁいいかとムゥマは里の中を見渡した。柔らかい地面に生い茂る芝生、青空に広い雲。ここに営みはあるが、それは森の中の極一部。自然の中に自分たちは住んでいる。きっとこの人は、外の人は自然の外に生きているのだろう。自然の中で生きるという事は自然に守られるという事だ。外の人はそれを知らず、知ることも無く死んでいく。だからこそ戦う必要があり守る必要がある。 「せんぱいさんは何を守りたいんですか? 魔王様ですか?」 「……なんだろうな。今はそれがわからない。少し前までは知っていたはずなんだ。でもそれを、俺は自分から捨てた」 「何で捨てたんですか? 大切なものだったのでは?」 「大切だったからだ。捨てたからこそ守れたと思っている。だから今の俺に守りたいものは……守りたいものがわからない」 「……私の植物園に行きましょうか。様子も確認したいので」 ムゥマはケルザの手を引いて歩く。里を抜け森を歩き小川にかかる橋を超え、結界をくぐった。そこは青空が広がる開けた空間で、色とりどりで種々様々な植物が咲き乱れる花の香が支配する空間であった。 「シィちゃんと私しか知らない、私の植物園です」 「……すごいな、どこまで続いているんだ」 「どこまででしょう? 新しい植物を手に入れたら追加してくので広くなってってますね」 やっと手を離してくれた事から、ここに結界はないのだとわかる。 「私は元気のない子達に魔力を上げますので、少し見て回ってください」 屈んだムゥマは目についた萎れ気味な花に手を添える。それだけで元気を取り戻すように俯いていた花は頭を上げ、ムゥマに挨拶を返しているようであった。それを見届け、ケルザはゆっくりと足を動かし植物園を見て回る。今まで植物をしっかりと見たことが無いケルザにとって全てが初めて見たと言っても過言ではない。同じ形でも違う色、同じ色だが少し違う花弁、葉なのか花なのかわからない植物、まだ蕾の花、果実が実る植物。網目状に広がる通路を少し歩くだけで全く違う植物が現れる。緩い風は濃い花粉を薄め、柔らかい香りだけを置いていく。これだけの植物をよく集めたものだ。元より森の中ではあるが、それでも漠然と森の中にいるのとは別な自然の中にいるとケルザは感じていた。 「どうですか。色んな種類があると見ているだけでも楽しめませんか?」 「そうだな、こうしてゆっくりと植物を見たことがなかった。これだけの植物がある事を改めて知ったよ」 「これも極一部ですけどね。あ、この子も萎れてますね」 屈むと先ほどと同じように植物に手を触れる。間を置かずに萎れた植物は艶を取り戻していた。 「……この子達は私の魔力で栄養を補えます。ですがやっぱり植物で、土や水から栄養を取るのが一番みたいですね。昔、自分の魔力だけで育てたものは枯れてしまいました。ですが、この子の様に自分では元気になれない子に対して一時的に私の魔力を与えると土や水からは補えない栄養があるからか元気になってくれるんですよ」 「栄養が多すぎても毒なのか」 「そうなんだと思います。ですので今は他所から持ってきた植物をここに順応させる時と、元気がない子に使うようにしていま……」 ムゥマの声を遮り小さな音が聞こえた。キーキー、ピーピーと泣くような小さな声が近づき、それはムゥマの正面の生い茂った植物の中から現れた。 「……それは植物なのか」 「いやぁ、どうなんでしょう? これは失敗なのか成功なのか……。この子達も昔魔力だけで育てた時に変異しちゃったみたいでして。元々はちょっと奥に生えてる小さな花で、こんなのではなかったんですけどねぇ」 彼女の足元には小さな双葉をパタパタと振り、短い根でちょこちよこと歩き回る小さな花がいた。その小さな花はムゥマに構ってほしいのか花弁を揺らし甘えているように見える。その花弁に指を添わせると、動く花は気の抜けた鳴き声を出した。 「不思議ですよねぇ。この子達も今は魔力を与えていません。元の花と同じく土と水の栄養で生きてるはずなんですよ。それなのに今でもこうやって私に気づくと寄ってくるんです。最初はちょっと怖かったんですけど、なんだか慣れちゃって今ではお話も出来るんですよ」 嘘が真が判断に困ることを彼女は楽しげに語る。謎の植物に気が惹かれたケルザも地面に座り観察を続けた。三匹いる植物はそれぞれ花弁や茎、葉を撫でられて嬉しそうにしている。その内の一匹がピーピーと鳴きながらケルザの前に来ると見上げるように花弁を向けた。それを追い、二匹の花も同じくケルザの前に並ぶ。 「その人はねぇ、お母さんのお友達だよー」 「……お母さん?」 「はい、お母さんです。よくわかりませんが私のせいでこうなっちゃいましたし、せめて枯れるまでは責任を持とうと思いまして」 「……そっか、そうだね」 ついムゥマに倣い指を差し出すと、ちょこちょこと寄ってきて花弁をこすりつける。花粉がついたのか指が黄色くなっていた。その内の一匹が指を登り始め、何度か落ちた後器用に指の上に立つ。それを眺めるケルザに一声鳴くと腕を伝い肩に立ちまた一声鳴いた。あまりの意味不明さに堪えられず肩を震わせると、肩に到達した花はケルザの足の上に落ちた。 「くくっ、何なのさ」 「なんでしょうねぇ。でもせんぱいさんは敵じゃないって覚えたみたいですよ。次は自分が登るって喧嘩してます」 落とした視線の先では花同士が小さい葉っぱを相手の葉っぱに置くようにペタペタと葉っぱを叩きあっていた。見かねたケルザが2つの花を手のひらに乗せると、二匹とも肩に着き一声鳴くと自分から足に落ちた。 「落ちたかったみたいです」 「はぁ、本当に意味がわかんないね」 「少しは元気になりましたか?」 「……久々に笑ったかも」 「きっとせんぱいさんは今、萎れたこの子達と同じなんだと思います」 足の上で絡み合う三匹を丁寧に解き、手のひらに乗せ指で撫でながらとつとつと言葉を漏らす。 「この子達も一生懸命生きています。でもたまに疲れて病気になったり萎れてしまいます。そんな時に私は自分の魔力を分けて元気になってもらっています。せんぱいさんも今は疲れて萎れちゃっているだけなんです。守りたかったものを捨てたと言ってましたが、それも守り続けて疲れちゃったんだと思いますし、捨てたから守れたっていうのは今も守っているって事なのかなって私は思いました。せんぱいさんは今も何かを守っているのに気付かずに、守るものを探している気がします。自分を守って、何かを守って疲れちゃっているんです。せんぱいさんは守ってばかりですが誰かに守ってもらっていますか?」 「誰かに……」 「私はお母さんとしてこの子達を守っています。私は父様に守ってもらっています。父様は自然に守ってもらっています。きっと私が魔力を分け与えるように、せんぱいさんが元気になるための時間や存在が必要なんだと思います。だから、急がなくていいと思います。急ぐとどうしても気持ちが焦っちゃうのに現実が追いつかなくて、それがまた焦っちゃう原因になると思うんです。ここに敵はいません。ですので、ここにいる間は自然に、私達に心を許してください。それでちゃんと休んだらまた頑張ってください。そうすればきっと、また守るものは見つかると思います。何より療養に来てるんですからね。ちゃんと休む事を考えてくださいよ」 拗ねた口調で手元の花を優しく弾く。それが楽しいのか弾かれた花は小さな双葉を振りながら、また指先に花弁をのせていた。 「……そうかも、しれないね。少し疲れてたのかも」 「今は休んで怪我を治してください。それからまた頑張りましょう」 「うん、そうだね。休むのも大事な事だよね。少し、休む事を忘れてたかもしれない」 「んふ、また明日もこの子達と遊びますか?」 「良いね。何か植物なのかは怪しいけど可愛いかも」 「いい兆候ですね。ではそろそろ里に戻りましょうか」 ムゥマに連れられ植物園を後にする。久し振りに気が休んだと、ケルザは無意識に表情を和らげていた。 「むぅ。ムゥちゃんちょっとずるいと思いまぁす」 あてがわれた部屋は数日泊まるには充分な部屋である。晩飯を終えた後、シィラとムゥマはケルザの使う部屋に来ていた。出て行こうにも戻ってこれない可能性が高いため、居心地の悪さをどうにか誤魔化し、ケルザはベッドに座り込む。ご機嫌斜めなシィラは頬を膨らせていた。二人はベッドに座るケルザを気にせず、ベッドの脇に腰を下ろしている。 「何が?」 「私がお母様といる間にせんぱいと遊んでたんですよね?」 「シィちゃんでしょ、散歩してきてって言ったの」 「それでもずるいです。もう私よりも仲良しなんですよね」 「そんなことないって。もぅどうしたの?」 頬をふくらませたまま、ぷいっと顔をそむけるシィラの頬をついてムゥマは空気を抜く。 「ぷふぅ。……だって、せんぱいが普段よりゴミを見ていません」 「ゴミを見ているつもりはない」 「帰って来てから眉間にシワが寄ってません」 「寄せた覚えもない」 「ふーん、同じお嬢様でもムゥちゃんの方がお好みのようで」 「せんぱいさぁん、シィちゃん拗ねちゃうと長いんですよ」 「……はぁ、どうすれば機嫌が治るんだ」 「知りませぇん」 「今後のことを考えてせんぱいさんにはシィちゃんの扱い方を覚えてもらいましょう。そういう訳でおやすみなさーい」 ムゥマは微笑みながらケルザに小さく手を降り、部屋を出ていった。残されたケルザは更に居心地の悪さが増したと溜息をつき、どうすべきかと思案し口を開く。 「……今日は里の中で子供と話したんだ」 「……はい」 「子供達が剣に興味を持ったから見せたんだが、その内の一人が怪我しちゃうって言ったんだ。四六時中持ってて忘れていたが、改めて危ない物を持ってると思い出した」 「……今更ですか。私なんて怪我させられたんですけど」 「それに関しては事故ではないから謝る気はない。ただ他人を怪我させたり殺す事もあるものを何も考えず持っていたんだと気付かされた。ここはそれだけ平和で、里長の偉大さを知った。その時は外は危なくて守る為に必要なんだと誤魔化したが、今はその守るものがわからなくなっている」 「それなら、その剣を置いてしまえば良いのではぁ?」 「……そうだな。もしかするとそれが良いのかもしれない」 「そうですよぅ。人里に帰れないならここで暮らしても良いんじゃないですかぁ? お父様も面倒な性格ですが悪い人ではありませぇん。不要に出歩かないなら結界も関係ありませんしぃ。それにムゥちゃんに毎日会えますよ?」 「そうなるとお前には会えなくなるな」 意図があった訳ではない。ただ自分が里にいては魔王の下に戻るシィラとは生活の場が変わる。結果会う機会もなくなるなと思い口にした言葉であったが、意外そうに目を丸めたシィラと目が合った。 「……魔王様ではなく?」 「魔王とも会えなくなるというか、会わなくなるというか」 「ふぅん……」 自分から振った話である。彼が里にいるならもちろん魔王様に会えるわけもない。結果だけ見れば自分にも魔王様にも会わなくなる。だが言葉には感情が乗るものだ。事、彼に置いては私達に真意を隠すよう素っ気なく、気を許さないように取り繕って話す。そんな彼の言う会えなくなると会わなくなるの言葉の違い。それに気付くと沸々と形容し難い感情が沸いてきた。 「まぁどちらでも良いが──」 「怪我が治ったらムゥちゃんと会えなくなりますよ?」 「あぁ、会わなくなるな。話の続きだが今は剣を置くつもり無い。正確には想像できない。良い事だとは言えないが、荒事に身を置く生活が長すぎた」 「……そうですようねぇ。騎士団にいて戦場に行く生活をしていたのでは仕方がないと思いまぁす」 「それで今日、ムゥマに何を守りたいのかを聞かれて答えられなかった。答えられなかった俺とは違い、ムゥマは仲間を捨て魔王の下にいる俺を、今も仲間を守っていると肯定してくれた。今は疲れているだけだと、ここで休んでまた頑張れば良いと俺の曖昧な立ち位置を認めてくれた。今は過去の事を隠す必要なくお前が話を聞いてくれる。もし俺がゴミを見ていないように見えたなら、それは二人のお陰だと思う」 「あは、せんぱいは本当にお嬢様がお好きなんですねぇ」 にまにまと笑うシィラは身体をひねり、前のめりな体を両手で支えケルザを見返す。 「私としてはぁ、せんぱいに剣を置かれると困っちゃうんですよねぇ」 どことなく熱っぽい、普段と同じ甘ったるい話し方のはずがどうにも聞き慣れない。 「関係ないだろう」 「もぅ、酷いですねぇ。もしかしてぇ、わざと私の事いじめているんですかぁ?」 薄桃色の唇が囁く。座るのをやめたシィラはベッドの脇に両膝を乗せ、ケルザと向き合った。その瞳は深緑で魔法を使っていないのは明白である。だが何故か、魅了による拘束よりも抗い難さを感じてしまう。僅かな抵抗にケルザは壁に背を預けて距離を取った。 「……もぅ。またそうやってぇ、何で離れるんですかぁ?」 眉を下げ、目を細めている彼女は柔らかく微笑んでいる。やさしい笑顔であったが慈愛ではない。それは受け入れる慈愛ではなく他者に踏み込む興味、好機の笑顔であり被虐者に扮する加虐者の笑顔である。 「いじけちゃいますよぅ? ムゥちゃんの言った通り、私は拗ねると長いんですからねぇ? いじけちゃったらせんぱいが倒れても看病しないかもしれませんよぅ?」 「……それは困る」 「こまっちゃうんですねぇ。私も素直じゃないせんぱいにいっつもこまってるんですよぅ。せんぱいはどうすれば素直になってくれるんですかぁ?」 「……知らん」 くすくすと笑うシィラはケルザの横に座り込み、上目遣いで微笑む。 「せんぱぁい、知ってますかぁ? 療養に来てはいますが私の警護もお仕事なんですよぅ?」 「……わかってはいるが、ここでは必要ないだろう」 「何言ってるんですかぁ。これで一つ解決しましたよぅ?」 「何をだ?」 「守るものがわからないんですよねぇ? 悩むくらいなら私を守ってくださぁい。ここでも、ここじゃなくてもぉ」 シィラには何度も手を触れられている。折れた腕の包帯を巻き直すのも取り替えるのも任せっきりだ。だが力の籠もらない、ただ自分の指先に置かれるように触れた指先が落ち着かない。 「何も私の為に戦ってほしいなんて言いませぇん。でもぅ、せんぱいが剣を置くことが想像できないのならぁ、剣を置かない理由に私を使っても良いのではぁ?」 「……剣を置かない理由か。考えたことも無かった」 「ふふ、里に来てから気付く事が多いようでぇ。それがせんぱいの為になるなら嬉しい限りですよぅ」 控えめに手を重ねたシィラはケルザに弱く体を預けると緩く微笑み、肩に頭を乗せると目を閉じた。 「私は防御魔法は得意ですからねぇ。せんぱいが守ってくれるなら私もせんぱいを守ってあげますよぅ」 「……前線に出る必要はない」 「本当に意地悪ですねぇ。私の魔法は戦わなくても効果があるんでぇす」 「……そうだね。お陰で少し気が楽になったよ」 「あは、素直になりましたかぁ? それでは剣を置かない理由、考えてくださいね」 熱が離れベッドから立ちあがると、おやすみなさいと言う言葉と花の香を置いてシィラは部屋を出ていった。 「せんぱいさん、どうやってシィちゃん手懐けたんですか?」 「変な言い方をするな」 「手懐けられましたぁ」 「……黙ってくれ」 「ねぇ、シィちゃん。あの後何あったの?」 「秘密でぇす」 「昨日、里の中を歩いた時の話をしただけだ」 「その割にはシィちゃん、上機嫌ですね」 今日も訪れたムゥマの植物園。謎の蠢く花を弄びながらシィラは笑っている。普段と変わらないシィラと上機嫌というムゥマ。機嫌を損ねるという面倒な事態は回避できたと言えるだろう。 「……なぁ、一人で里の中を見て廻りたいんだが」 「一人でですかぁ?」 「そうだ。もう少しこの里について知ろうと思う」 「母様に言われていた事ですね」 「大丈夫ですかぁ? せんぱい一人で里の人と話せますかぁ?」 「子供たちには優しかったし大丈夫じゃない?」 「……へぇ、せんぱいって子供には優しいんですかぁ。知りませんでしたねぇ。私の前では優しい素振りなんて見せた事ありましたかぁ?」 「あ、面倒になる前に里に行きましょう。送ります。家がある範囲なら結界はありませんので好きに見回ってくださいね」 ムゥマはケルザの手を取り逃げるように小走りで植物園の外へ出て行った。戻った植物園には怪しく笑うシィラと、地面に埋められては這い出てくる花が楽しそうな鳴き声をあげている場面であった。 一人で里の中を歩くと些か居心地が悪い。慣れないと言うのもあるが、警戒を解けていない証拠でもある。敵がいないのならば警戒は必要がない。自分の家で警戒する人間はほとんどいないだろう。 「ねぇ、お兄さん。今日は一人なの?」 滞在して三日目になるが、一人は初めてである。そうなれば好奇心旺盛な里の住人が声をかけに来るのはわかっていた。 「一人で里を見てみたくてね」 「シィラのお客さんだもんね。中々一人にはなれないかぁ」 「今日は一人で見て回ると伝えたから、少しはゆっくり話せるかな」 「ほんと? じゃあ外の事聞かせてよ」 嬉しそうにな彼女の問答によどみなく答えていく。 彼女と話す内に他の住人も歩み寄ってきた。 「そうだ。勇者について教えてよ。魔族の村を焼き払ったりする極悪人なんだよね?」 「……ここではそう言われてるんだったな。俺が知る限りは聞いたことないよ」 「えー、うそー。昔からそう聞いてるよー?」 「みんな外に出たことがないから聞いた事を確かめられないからね」 「じゃあ魔族を根絶やしにするのは?」 「勇者はそこまで強くないよ。たぶん根絶やしにするのは無理かな」 「そうなの? もっと怖いと思ってた」 「勇者とは呼ばれても人間だよ。基本的には魔族よりは弱いね」 「んー? それなのに魔王様は倒せるの?」 「倒せるかはわからないよ。あくまで人間が倒せる可能性があると思った人をそう呼んだだけだからね」 「でも今は魔王様がいてシィラとお兄さんは魔王様の従者なんだよね?」 「あぁ。そうだよ」 「じゃあもう勇者はいないの?」 「今はいないかな。でも勇者は人間が決めてるだけだから、また近い内に勇者が現れるかも」 「じゃあ、もし勇者が来たら戦うの?」 「かもしれないね」 「野蛮だね」 「怖いなぁ」 「ここみたいにのんびり暮らせないんだね」 「ここには里長がいるおかげで平和だ。外に里長みたいな存在はそういない」 「里長かぁ」 「よくわかんないよねぇ」 「良い事だよ、平和な証拠だ」 そう、里長のおかげで平和だ。だがそれは外的な天敵のいない鳥かごの中の鳥。それが悪い訳ではない。だが里長がいるからこそ成される平和。里長はエルフの親であり、エルフは子供のまま。だから好奇心から警戒を持たず外部の客人である自分に躊躇うことなく寄ってくる。それが平和であり、危険であり、未熟な社会構成の一つであった。エルフが排他的と言われるのはこのせいなのだ。長らく里長に守られる環境は住民を子供のままにしてしまった。外からの悪意に免疫も知識もなく、対策もなく騙され利用される。だからこそ一部の人間が里の親として子供を守る必要があるのだ。エルニアの言う敵がいないとは加虐性を持てる程の社会的な知恵がなく、外の住人から見れば悪戯をする子供程度の無害さだというだけなのだ。里長が外からの客人に厳しかったのは、外敵から身を守る手段を持たない子供を護るためである。そして親の役割に子供は気づけない。自分が守られていると気づかない。それがきっと守るの理想なのだろう。 じゃあね、ゆっくりしていってね、ばいばいと住人は満足しては去っていく。その誰もが知己の友人のように手を振り、ケルザもそれに控えめに答えた。こうした友人や子供を相手にするような対応は懐かしく、遠い記憶と淡く重なった。 「ムゥちゃんの言ったとおりですねぇ」 「でしょでしょ?」 物陰から現れたシィラとムゥマは人だかりのなくなったケルザの前へと歩いてくる。目があったシィラは小さく手を振ったが、ケルザは一瞥だけして無視をした。 「いつから見ていたんだ」 「結構前からですよ」 「はぁい、せんぱいが里のみんなに愛想を振り撒いていた時からでぇす」 「そんな記憶はない」 「なんで戻っちゃうんですかね?」 「んふ、せんぱいは素直じゃありませんからねぇ」 「それじゃあ意味なくない?」 「いえいえ、そんな事ありませんよぅ。見てくださぁい、このせんぱいの晴れ渡るような目をぅ」 促されるまま見上げるムゥマを見返したが、彼女は眉を寄せる。 「晴れ渡る?」 「晴れ渡ってまぁす」 「……そこまで人相が悪いつもりはないんだがな」 ため息をついたケルザはシィラに手を引かれ、ムゥマと共に里長の家へと戻っていった。 「どうですか。この里で警戒が不要なことはわかりましたか」 晩飯時、食卓を囲むエルニアが口を開く。 「えぇ、よくわかりました。確かにここに敵はいません」 「よく言われる排他的や他種族と関わらない理由については」 「種族を守るためですね。ここには里長がおり敵がいない。それは確かに平和ですが、同時に外的に対する免疫がなさ過ぎる。自分の様な外から来た者に対して無警戒に近寄るなんて子供くらいしかしない事を大人もする。その外に対する好奇心は間違いなく悪意があれば容易く利用されるでしょうね。だから外界との交流を制限しています」 「……私達に対しては理解できたようですね」 「里長の偉大さを感じました。外ではここまで完璧に国を守れる王は存在しない。村や町単位ですら疑わしい。里長あっての平和ですが、里の住人の大半は里長の役割すら理解していない。でも、それがきっと平和な証拠なんだと思います」 「君は一つ勘違いしているね」 割って入ったのは里長である。 「ここが平和なのは里長のおかげではない。私達は自然に守られているのだ。里長はその自然の恩恵を受け、自然の代理として里を守っているに過ぎない。本来里長などおらずとも自然と共に生き、自然の中で生活すれば争いなど起きない。だが自然は有限。今は自然に対して生物が多すぎるのだ。だから自然の外で生きるしかない生物が現れる。結果、自然からの加護が受けられず自分たちを守る為に争うと言う手段取るのだ。私から見れば争う事でしか身を守れないなど子供の喧嘩と変わらない。他者を理解し共生できない蛮族と同じ空間で生活などできる訳がないだろう。だから私達は自然の中で生活し、自然に守られ、外界から隔離した空間で生きることを選んだのだ。私達が排他的なのではない。君達が他者に対して侵略的で、他者を認められず排他的なのだ」 ケルザは手を止め里長を見てしまう。だが里長は頭を上げることもなく、淀みなく食事を進めている。それは考えるまでもない当たり前の事で、何も特別なことはないと言っているようであった。里長の言葉に返せる言葉はない。振り返ればいつだって自分は守る為に戦地にいた。自分が必死に生きた時間、それを里長は子供の喧嘩だという。子供が国に変わっただけ、個人が組織に変わっただけ。その通りだ。子供が何か気に食わず癇癪を起こすのに対し、何か理由をつけ正当化したのが戦争であり、そんな程度の話なのだ。そしてその戦争を避けるためにエルフは自然の中に閉じこもっただけなのだ。外の世界を知らない彼ら同様、自分は中の世界を知らなかった。……何も知らなかったのは中の世界に生きるエルフなのか、外で生きる自分達なのか。未だケルザの手は動かない。 「それはケルザさんに言っても仕方ないでしょう。私達だって関わらないと言っても魔族として魔王様の庇護下にいるのは変わりません」 「……戦う力は必要かもしれないけど、戦わない為に戦う能力を持たないことも大事なんだよ。私達は魔王様の庇護下ではあるが戦力外だ。だからこそ静かに生きていられるんだ」 「その割には私を無理やり送り出しましたよねぇ?」 「それはまぁ、ね? 私だって可愛いシィラちゃんを送り出すなんて心苦しくて悩んだよ? でも魔王様が復活した以上戦う能力のない私達は、私達がいると魔王様に伝えることで庇護下に入る必要があったのだ。それだけで人間も他の魔族も私達に不要な戦を仕掛けられなくなる。里の平和の為だったんだ。許してくれ」 顔を上げた里長は泣きそうに見えた。 「まぁ? 私としては外の世界を見れましたし魔王様に可愛がってもらえてますし? 楽しく生きられてますのでお父様に文句はありませんよぅ? ただぁ、生意気なせんぱいにはもぉ少し素直になっていただきたいなぁって」 「……何故ムゥマではなくシィラを?」 「それはまぁ……、君もわかるんじゃないかね。父である私が言うべきでもうないが、この娘はその、私達の悪い所を煮詰めたような……。いや、可愛いんだぞ? その、少し突き抜けた無防備さというか、他人を味方につける能力というか……」 「守られると言うよりは守ってもらうと表現するのが正しいかもしれませんね。シィラは他人に甘えるのが得意だったので、魔王様の下でも上手く生活出来ると思い送り出しました。予定通りなのか想定以上なのか、うまく生活できているようで安心しました」 困った様な表情をエルニアは浮かべるが、シィラはもそもそと食事を進めている。あの甘ったるい声は生来の甘え上手が順当に成長した結果得た能力なのかもしれない。 「あと変に図太いよね。自身があるというか」 「何言ってるんですかぁ。皆様に愛されて育った私が可愛くないわけがありませぇん。そんな可愛い私を襲うなんてぇ……」 いつもと変わらない元気な声が、徐々に弱くなりケルザを視線が突き刺す。知らないふりをして食事を進める事がケルザに出来る抵抗であった。 「まぁ、それは置いときましょうかぁ。お母様ぁ、せんぱいは大分警戒を解いてくれましたよぅ?」 「そうですか?」 「はぁい、それはもぅ。せんぱいはお嬢様がお好きなのでぇ、私とムゥちゃんが優しくしてあげるだけで簡単でしたぁ」 「……ケルザ君」 「誤解です」 「せんぱいは私よりムゥちゃんの方が好みのようでぇす」 「シィラ、あんまり開け透けにものを言うべきではありませんよ」 「せんぱいさんかー、悪くはないかなー」 「ケルザ君」 「誤解です」 「そろそろ治療しても良いのではぁ?」 「……そうですね。里に敵がいない事はわかったようですし、そろそろ治療を始めましょうか。後程、お呼びしますので部屋にいてください」 「わかりました、お願いします」 食事を終えた里長に合わせるようにエルニアが立ち上がる。これは毎回の食事で見る光景であり、それがこの会食の終わりを告げる合図であった。