「フィーレ、大丈夫?」  会食の場を後にした三人は蝋燭に照らされる廊下を歩く。行きよりは軽い足取りではあるが、魔王にやり込められたフィーレは平時を装っていても雰囲気が硬い。それを気遣ったユーリは何の事はないと言った様に軽い言葉をかけた。 「あんなの聞く必要はないからね」 「そうだよ。そもそも魔王の言葉なんて真に受けるだけ無駄だよ」 「そうそう、デリダの言う通り。気にしたら負けよ」 「……ありがとうございます。でも考えちゃいまして」  自分は正しいと思っていた。間違っていると考えた事はなかった。だが魔王から自分が考えた事がない事を突きつけられてしまった。私は人間だ、人間社会は多かれ少なかれ魔族に害されてきた歴史がある。それこそ魔王の存在が最たるものだ。だからこそ魔王は敵だと断定し、魔族が人間社会に溶け込んで交流するなど有り得ないと思っていた。嫌悪感があった、気持ち悪かった、それは今も変わらず、誰かに指摘されたからと簡単に飲み込めるものではない。自分の考えに一貫性をもたせるならば、魔王に属する人間は人間の敵。つまりは人類の裏切り者となるのは道理、魔王が言った通りなのだ。それなのに自分は彼が人間と知り、コルドさんである可能性に希望を持ち、裏切り者だと断言出来なかった。 「ユーリさん、デリダ君。魔王が敵なら、やはり配下の人間は敵なのでしょうか……?」 「まぁ、背景考えないならそうなんじゃない?」 「でもその背景って僕達が知るべき事なのかはわかんないよね」 「そうねぇ、綺麗事言える立場じゃないし」 「バルトさんとか騎士団の人なんて魔族どころか、敵国の人間と戦ってるんだよ? 僕たちが知らない所で直接的にせよ間接的にせよ間違いなく人を殺してるだろうし。国の為に戦うって言えば聞こえは良いけど、相手も同じ考えで争ってるのが戦争だし」 「……普通に考えれば相手にも家族がいるわよねぇ」 「そんな事考えながら敵国の人間殺せる?」 「んー、私には無理そうね。余計なこと考えたら絶対に躊躇うわ」 「だよね。それを考えるなら魔族は人間じゃない明確な敵って割り切れる分、気は楽だよね」 「……だから魔王の配下の人間は敵と割り切っているんですか?」  二人の言い分はわかる。だからと言って自分が簡単に割り切れる訳もない。 「別に割り切ってなんかないわよ」 「え?」 「そこまで単純になるのも難しいよね」 「全部を割り切って納得して生きるなんて無理でしょ。今回の魔王討伐だって嫌々だったし、道中では我儘な僧侶と喧嘩になるし。その中で折り合いをつけて生きてくもんよ」 「年の功?」 「……帰ったら呪ってあげる」 「それは遠慮したいなぁ。僕も良い生き方してた訳じゃないけど、生きる為って考えて納得して悪い事だって理解してたのに流されるまま生きて。……僕は自分の事で手一杯だから他人の事まで考える余裕がないだけかな」  デリダは過去の生き方を認めた上で反省している。きっと今の生活を経験した後ならば、余裕がなくとも過去とは違う生き方が出来るのだろう。漫然とそんな機微を感じ取ったフィーレはデリダの横顔を見てしまう。蝋燭に照らされる横顔は陰が多く、物憂げな表情に見えた。  フィーレが折り合いのつかない考えに思考を空回りさせている間に三人は充てがわれた客室に辿り着き、その内の一室に全員が踏み入った。 「まぁ、とりあえずバルトを待ちましょうか」 「一人で残ったもんね」 「何か気になる事があったんでしょうか」 「んー、たぶんそんな感じじゃないわよ」 「そうなんですか?」  ベッドに我が物顔で倒れ込むユーリは気の抜けた声を出して、掛け布団に顔を埋めている。デリダとフィーレは備え付けの小さな椅子に腰を下ろすと、会食の疲れを吐き出すように深く息を吐いた。 「何て言うか、今話してたみたいに何かの区切りをつける為にやってるっぽいのよね」 「僕とかユーリさんよりは割り切るのが苦手みたいだよね」 「表面上はちゃんと割り切るから別に良いんだけどね」 「そうなんですね……。じゃあ私も割り切る為に何かしたら良いんでしょうか?」  むぅ、と呻いたフィーレは机に突っ伏して不明瞭な声を漏らしている。 「どうなんだろうね。それで割り切れるなら良いけど、たぶんフィーレの場合感情よりも論理的に割り切れてないんじゃない?」 「自分で割り切る為の落とし所を見つけないと納得出来ないわよねぇ」 「うぅ、もやもやするぅ」  フィーレが枕にした腕に顔を擦りつけていると、バルトが部屋に戻ってきた。呻くフィーレを目の端に置きつつ、ユーリの占拠するベッドの端に腰を下ろすと一息ついた。 「……疲れたな」 「うん」 「はい」 「そうね」  バルトも戻り全員が揃った事で、館に来てからようやく4人の心は弛緩した。 「何してたのよ」 「……ケルザと、あのエルフと話していた」 「何を話したんですか?」  バルトが残ってまで話した内容に興味を隠せず、フィーレは頭を上げた。 「ただの世間話だ。何かを意図した訳ではない」 「いいじゃない、あの性悪と最低と何話したのよ」 「本当にただの世間話だぞ。エルフが家事をやってるのは自分が出来るからやってるだけで、特に魔王から命令されて役割分担をしている訳ではないとか。最初に来た時、ケルザに魔王はいないと追い返されそうになったとか。殆ど、あのエルフの愚痴だったな」 「ほんとに世間話なんですね」 「なんでケルザさんは最初に追い返そうとしたんですか?」 「面倒くさかったらしい。エルフが言うには魔王を独占したかったからとは言っていたな」 「何かどっちも本気で言ってそうなのが嫌ね」  ため息を吐いたユーリは体を起こして体勢を変えると、壁に背中を預けてバルトの背中を蹴った。 「……蹴るな」 「何本当に世間話してんのよ。結局嘘かはわかったわけ?」 「いや、予想通りわからなかったな。ただ少しだけ諦めはついた」 「……あっそ。まぁ前向いたなら良いんじゃない?」 「デリダ、ケルザはどう思った?」  ユーリに踏まれる様に蹴られるのを無視しながら話を振ると、デリダは頬杖をついて口を開く。 「単純にぽいかぽくないかで言えば、コルドさんぽくはないですよね。ただ何ていうか……」  言葉に変換できない感情が口を塞いでしまう。コルドさんは彼の様に好戦的ではない。ましてや味方に対して敵意や剣を向けることなど想像できない。自分が見つけられる理由では彼を別人と判断しているのに、見つけられない理由が彼はコルドさんではないかと考えてしまう。纏まらない考えを纏める為に、デリダは思った事を零していく。 「彼は敵だって事を前提に話はしますけど、あれ見ると魔王の配下というよりは利害の一致で共に行動しているって気もしません?」 「あー、確かに。それならあの最低男が魔王に従わないのも納得できるわね」 「場合によってはベルジダッドさんと戦うのも厭わなさそうでしたよね。シィラさんが仲裁に入って収めましたけど」 「魔王が言った人類相手に何もしないから今の生活を維持したいって言葉を本音だとするならば──」 「不明瞭なあの男の目的。その一部でも魔王と共有している可能性はある、という事か」  デリダの言葉をバルトが纏めた。  この考えが正しければ、魔王の配下であるケルザは単純に人間の敵とは言い難い。もし人間に恨みがあって魔王を利用するのが目的であれば、既に破綻している。魔王に敵対の意思はない。が、何か隠し玉があって魔王の理性を飛ばせるのであれば話は別。 「それと直結するかはわからないけど、彼の正体に関しては魔王はどうでも良さそうに見えたかな」 「そうですね。あくまでケルザさんが隠したいから口止めしている様に見えました」 「何となくの印象だけど全員、最低男の正体自体は知ってそうなのよね。その上で関知してない感じ」 「そうだな、三人で話した印象ではケルザとあのエルフの仲は悪くない。恐らく秘密にする事で魔王側に何か利益がある訳ではないんだろうな」 「まぁ、魔王が人間だって話の流れでバラしたって感じではあったけど、本当に人間かは確定してないんだけどね」 「……一旦、正体は置いておくか。魔王の目的から推察し、あの男の目的を考えてみよう。そこから正体に繋がる何かに気付けるかもしれない」  考えを整理しよう。  恐らくケルザは純粋な魔王の配下ではない。会食までに見たやりとりで、単純な主従関係ではないと判断できる。デリダの言った通り何か目的があり、利害の一致で魔王と行動を共にしている可能性は高い。では、それ以外の理由で魔王と共にいる可能性はあるか。魔王はかなり享楽的な性格に思える。自分が殺される状況すら楽しめる性格だ、何となく面白そうだと思えばケルザを手元に置いても可笑しくは無い。思うに……。 「個人的な考えになるが、ケルザ自体は目的があって此処に居る訳では無いんじゃないか?」 「んー、どういう事? 魔王の客人的な感じ?」 「そうだ。吸血鬼とエルフは明らかに魔王に仕えているが、ケルザは違う。目的があって魔王の配下になっているのではなく、目的が無いから現状は魔王の配下として生活をしているんじゃないか?」 「あー、なるほど。いつ出てっても良いから、魔王に従うつもりもない事が態度に出てるのかな」 「魔王はケルザに今の世界の時勢について教わったと言っていたし、情もあると言っていた。もしかすると損得とは別に友人の様に感じている部分があるのかもしれない」 「……そうですね。ケルザさんが魔王の配下だから魔王と共にいると考えていましたが、立場上配下であって実情は違う可能性もありますよね。ただ……」 「ただ?」 「あの人は私財を叩いてこの館を営繕して、生活出来るようにしたとも聞いています。それを考えれば、目的が無いとも思えないんですよね」 「そういえばそうね。魔王と一番始めに接触した存在が私財で営繕して生活の場を整えるとか、ここで生活する気しかないじゃない」 「もしかして、仮に魔王が居なくても此処に住み着くつもりだったのかな?」 「だとすれば利害の一致と言うよりはお互いの目的が抵触しないから、同じ生活の場で共存しているだけの可能性もるのか」 「では現状の立ち位置として考えられるのは物好きな魔王の配下、魔王と利害の一致による共存、もしくは互いの目的が抵触しない事から利便性優先の共同生活。辺りでしょうか」 「そうね。目的としては配下なら魔王と同じ、利害の一致なら不明、共同生活なら目的がある訳ではないって感じかしら」 「じゃあ想定するのは利害の一致に関してだね。でも魔王が平和に生きたいなら、それの何が利害にあたるのかな?」  デリダの声に答える者はいない。暫しの沈黙の後にバルトが口を開いた。 「……思いつくのは平和に生きたいと言う魔王の平和ボケした考えに取り入って魔王を利用する程度だが、そうなると世界を滅ぼしたいと言う俺達の考えていた魔王と結果は変わらない。感覚的な話にはなるが、どうもあの男はそれを望むような短絡的な思考ではない様に思う」 「それならもっと魔王に従順なフリするわよねぇ」 「うーん、振り出しかなぁ」 「魔王に争う意思がないのであれば時間はある。今日は出来事が多すぎた。疲労で頭も回っていない。……今日はもう休もう。休んで時間を置いて、王都に帰るまでに考えを纏めておこう」 「ふぅ、本当に疲れましたね……」  小さく息を吐いたフィーレが持ち上げていた頭をテーブル上の腕の上に下ろし、ゆっくりと目を閉じて4人の話し合いは終わりを告げた。 ◇  そう安安と眠れる訳もない。馬車よりも寝やすいはずのベッドが心地悪くて体を起こす。窓は開けているが空気が重く、淀んで蒸し暑い。熱い息を吐いたバルトは部屋を出て、月明かりに照らされる外に開けた廊下を歩く。カツ、カツと硬い床は乾いた音を耳に届ける。ただ眠れないから部屋を出ただけで目的地など無い。辿り着いたのは魔王の間。一度目は何も出来ずに敗戦した場所、二度目はユーリに担がれ、知らぬ間にお嬢様との謁見、三度目は誰もいな──。 「──っ!!」  振り返ると暗闇の中、月光に照らされた、透ける様な白銀の、両肩を紐で留めた艶のある白い寝間着に身を包んだ、輝く魔王がそこにいた。履いている靴のせいか殆ど擦るような足音を立てて歩く魔王は、白い寝間着に反射する光でぼんやりと世界から浮いていた。  その姿に息を呑んでしまう。身構えてしまう。覚悟のない状態での魔王との遭遇に、身体が硬直して言葉が出ない。緩慢に歩く白銀の魔王はバルトの前に立つと、自身よりも随分と背の高い彼を見上げた。 「何だ、眠れんのか?」 「……夜は、封印で……」  寝ているはずではないのか。喉元にせり上がった舌が言葉を遮る。 「ふむ、私としても初めてだ。もしかするとお主らが来訪して精神的に高揚した結果、身体が少しばかり呪いに抗っているのかもしれんな」  くつくつ、と小さく笑った魔王は楽しそうに腕を組む。 「して、いつまでその体勢でいる気なのだ?」  下半身は正面に、上半身は捻って魔王へ振り向いている。指摘されたバルトは魔王の柔らかい対応に絆され、ようやく魔王へと身体を向ける事が出来た。 「何をしている」 「お主は館の主に向かって何を言っているのか、わかっておるか?」 「……いや、すまない。そうだな、自分の家を歩いているだけだ。泊めて貰っている俺の言葉ではない」 「ふふ、寝ぼけているのか? お主はどうして中々に、可愛い所があるではないか」  小柄な魔王はあどけない笑みを浮かべ、バルトの横を通り過ぎて足を止めた。 「眠れんのだろう? 付き合ってくれ」 「何にだ?」 「私がお主と二人だけで話すのは今宵限りであろう。なれば存分に胸襟を開いて話そうではないか。つまりは蒸し暑い不快感を拭う為に浴場へと行こう」 「……は?」  バルトは魔王の言葉に眉を寄せ、眉間にシワを作る。 「もうシィラは部屋に戻らせてしまってな。連れが居なくて寂しかったのだ。一宿一飯の恩を先払いで返すと考えれば良い。シィラ程は求めん、軽く汗を流す程度に洗ってくれれば構わんぞ?」 「まさか、俺に洗えと言っているのか……?」 「身体は確かに女だが、それ以前に魔王だ。お主に裸体を見られようが恥ずかしくもない」 「……いや、そうではなくてな」 「……私の身体に劣情を催すのか? お主は人間だ、異性に興奮するのは理解できるのだが……。流石は勇者の一人と言うべきか、魔王であろうが女ならば見境なしか? 英雄色を好むとは言うが、些か性欲に支配され過ぎているのではないか?」 「……違くてだな」 「では何だ。私が孕めば子は魔王になるのかを試そうというのか? 真面目な顔して恐ろしい事を考えるではないか。魔王である私を好奇心と性欲を満たす道具と捉えていたとは、お主は本当に人間か?」 「……待ってくれ。話を聞いてくれ」  眉間にシワを寄せたバルトは、魔王の言葉を処理しきれず額に手を当てて徐々に背を丸めていく。それを見上げる魔王は意地の悪い笑みを浮かべていた。 「恩の先払いと言った手前、言葉は飲み込めん。かよわい私は体を洗うついでに襲われるのだろう? 何と卑劣な思考、勇者にあるまじき下劣さ。恥というものを知らんのか?」  恥知らずはお前だろう。と言いたい気持ちはあったが、別の言葉が先んじて落ちた。 「……勘弁してくれ。もしお前が風呂で寝たらどうする気だ。あのエルフを呼ぶにせよ、たまたまじゃ済まない状況になるだろう」 「ふむ、シィラに余計な手間を取らせるのは本意ではない。仕方の無い奴だ、そこで話すとするか」  雑に答えた魔王は進路を変え、バルトは後を追う。定位置についた魔王は足を組み、肘掛けを使い頬杖をつくと顔の前に垂れた髪を手で漉いて後ろへ流す。その前にバルトは立った。 「食事はどうであった?」 「美味かった。なかなか機会がなくて、こういった会食の経験は少ない」 「それは重畳。さて会食で聞けずじまいであった事があれば聞くが良い。とはいえ、ケルザに関しては答えられんがな」 「改めて聞かせてくれ。お前の目的は何だ」 「今のまま、ただ四人で生活する事だ。それ以上の望みも目的も意図もない」 「嘘はないな」 「ああ」  押し黙ったバルトは今までの事を勘案し、何が世界にとって最善策かを選択する。だが此処に来て出来るのは魔王に挑み討ち死にするか、会食から推察できる魔王の人となりを信じると判断するか。  ──きっとこの判断は過ちである。  それでも騎士団の一員として、人として、俺を構成する何か。その何かが欠ける事は、俺としての芯がブレる事になる気がした。言葉を出そうとした口腔が乾いている、本当に言って良いのか躊躇いが舌を震わせた。言ったが最後、この言葉は飲み込めない。 「……わかった、信じよう」 「……そうか。流石は勇者の一人だ、な」  ふわぁと口元に手を当てた魔王は一つ、大きな欠伸をした。 「ふむぅ、風呂へ行かなくて正解だったな。限界の様だ」 「お前は何か聞きたい事は無いのか」 「そうさな。特に無い、が代わりだ。眠くて動くのが面倒だ、部屋まで運べ」 「冗談か?」 「本気だが? いつぞやケルザにも運ばせた事があったな。ほれ、早くしろ。自分は部屋で寝るのに、泊まるように言った私を此処で眠らせる気なのか?」  不遜な態度で近くへ呼ばれたバルトは、魔王の眼前に立って背を向けると屈み込む。 「何をやっておる、私に動かさせる気か? この体勢から抱き上げて運べ」  声には出さず体勢を直して、魔王を無造作に抱き上げた。 「乱暴だな、女を優しく扱えないのか?」 「お前は魔王だ」 「その魔王の言葉を信じる事にしたのだろう? であれば私は信じる対象だ。丁重に扱うのが筋だと思わんか。ほれ、そっちの通路へ出ろ」  バルトは抱き上げた魔王の指示に従い、私室に向かい歩いていく。抱き上げた魔王はとても軽く柔らかい。直接触れてしまった感触が、魔王も生物だと否応なく知らせてくる。ただの少女の様な魔王は、自称魔王と言われれば信じてしまいそうな程に無防備に身を任せている。 「そこ、の……、大き……」  掠れた声と僅かに動いた腕で部屋を伝えた魔王の瞼は閉じられており、小さな寝息だけとなった。指定された扉を開くと窓から入る明かりを頼りに、魔王をベッドに寝かせる。ほんの少しだけ考えた後に魔王を抱き上げ直し、掛け布団をめくってから再度魔王をベッドに寝かせて布団をかけ直した。  魔王に触れた感触で、バルトは魔王を殺せると確信する。手首に仕込んだ鉄針に人差し指で触れ、部屋を出た。  ──きっとこの判断は過ちである。  だが伝聞ではなく、自分で判断した結果。信じた魔王であれば殺す必要はない。……今はまだ。 ◇   「何であんたいるのよ」 「んふ、こっちのセリフですねぇ」  湯気に満たされた一室、やや空間を開けて二人は白濁湯に肩を並べて浸かっていた。 「はぁ、まったく……。眠れないから来たのに」 「私もでぇす」 「あんた、その小憎たらしい話し方どうにかなんないわけ?」 「無理ですねぇ、昔からなのでぇ」  とつとつと、沈黙が落ち着かずに紡がれる消極的な会話。全身の心地よい暖かさに気持ちも弛緩され、喋る事を我慢出来ずに口を開いてしまう。 「魔王は寝たの?」 「もう戻れと言われたので寝た所は見ていませんねぇ。いつもなら寝てる時間ですので寝てると思いまぁす」 「ふぅん。魔王って起きてる期間と寝てる期間があるのよね? どの程度なの?」 「私が来てからの話になりますが起きてるのが三日、寝ているのが七日程度ですねえ」 「魔王が寝てる時は何してるわけ?」 「んー、会食で話したこと以外は自由ですねぇ。必要に応じて街に行って買い出しとか位ですよぅ、外出はぁ。そちらはどうなんですかぁ?」 「私はそうねぇ……。こうやって旅に出る前は魔法の研究で引き篭もりだったわ。あんまり外に興味がなくて」 「そうなんですねぇ。私はここに来るまで里から出る事も殆どなかったので、街を見て回るのが楽しいですねぇ」 「里ってエルフの?」 「そうでぇす。お嬢様大好きなせんぱいと帰省した事があるんですけど、姉のムゥちゃんと私で両手に花で嬉しそうでしたぁ」 「へぇ、あの最低男って嬉しそうな顔とかするのね」 「はぁい、普段はゴミを見る様な目ですけどねぇ」  その言葉に促される様に思い出そうとしたが灰色の髪と顔の傷以外を思い出せないまま、深く息を吐いて顎下まで体を湯に沈める。 「……ねぇ」 「はぁい?」 「魔王が言ってた平和に生きたいって本音だと思う?」 「どうでしょうねぇ。私が来てから結構経ちますけど、魔王様が嘘をついた所を見た事はありませんねぇ」 「……そう」  含みのある短い返事につい、顔を向けてしまう。 「どうかしましたかぁ?」 「んー、ほら。私達って魔王討伐に来て敗走して、もっかい来たじゃん。正直、私としては人間と争う気が無いなら放置して良いと思ってんのよ。現に国の命令でこうやってるけど、魔法の研究したい私には迷惑でしかないし」 「……結局、貴女達がどう思っても国の決定には逆らえませんからねぇ。こうして一緒にお風呂でお話しても明日にはお互い明確に敵同士に戻るでしょうしぃ。何だか寂しいですねぇ」 「……ご飯、美味しかったわ」 「あは、素直ですねぇ」 「今の内に言いたい事言っとかないと、たぶん言わなかった事にモヤモヤするから」 「そうですねぇ、同感でぇす。何と言いますか、敵の貴女相手になら何を言っても良いから話してて楽しいんですけどねぇ」 「そんなんだから性悪なのよ。でもまぁ、私も同じねぇ」 「似たもの同士ですかぁ。立場が違えば、お友達になれたかもしれませんねぇ」 「こんな関係は悪友とか腐れ縁でしょ」 「良いじゃないですかぁ、腐っても残る縁」 「あー、そうは考えた事なかったわねぇ。何か戦いたくなくなってきたわ」 「こっちは元々争う気はありませんよぅ? そちらが喧嘩を売ってきてるだけでぇ」  その通りだ。仕方無しに此処まで来たが、自分の意志で来た訳でもない。やれと言われた事はやる、割り切れこそするが気分が乗るかは別である。 「そんな話より楽しい話しましょうよぅ」 「何の話するのよ」 「もぅ女の子二人でする話なんて決まってまぁす。恋バナですよ、恋バナぁ。流石に魔王様とそんな話は出来ないので恋バナしましょうよぅ。年の近い異性と旅してたんですよねぇ。どうなんですかぁ?」 「……馬鹿なの? そんな余裕ないわよ。元々魔王を倒す為に集まってるのに」 「此処までの旅路で危ない所を助けたり助けられたりはぁ?」 「そりゃあ、まぁ……あるけど」 「そこから信頼関係とか芽生えるのではぁ?」 「……信頼はしてるわよ。コルドがいた時から私達のまとめ役だったし」 「良いですねぇ。それがきっかけで恋愛感情抱いちゃったんですかぁ。無事に帰ったら結婚するんですかぁ?」 「突っ込まないわよ。恋バナも何もあんただって最低男とそうなんでしょ。話す必要ないじゃない」 「人の話は別ですよぅ」 「傷物にされたんでしょ」 「はぁい、下腹部と首をぉ」 「下腹部って何よ……首?」 「せんぱいに負けたって言ったじゃないですかぁ。おへその下辺りとぉ、首を切られまして降参したんでぇす」 「傷物ってそういう事……?」 「女の子に怪我させるとか最低ですよねぇ、ほんと信じられませぇん。その分は責任取らせますけどねぇ」 「……シィラ、紛らわしい言い方は控えなさい」 「あらぁ、ユーリさんが勝手な事を想像しただけですよねぇ? それで私は名前を出していない、まとめ役の方とはぁ?」 「もう黙りなさいよ、あんた」  呆れた声に笑う声。一夜限りの休戦協定は二人がのぼせるまで平穏に続いていった。