「ウォン、会いたかったの」  自分よりは背が低いが、昔よりは幾分成長した少女がウォンを強く抱きしめる。胸元に顔を押しつけ、くぐもった声で少女は言った。ウォンも手慣れた様子で少女の頭を撫でる。その手は昔よりも少し高い位置になっていた。小さく呻くような声を出しながら、抱きついて離そうとしない少女にウォンは声をかける。  「久しぶりだね、タユ。元気だった?」  優しい声色に促されるように、タユは胸元からウォンを見上げた。積もり積もった感情が溢れるように、瞳には涙が滲んでいる。前よりも大人びた顔立ちには未だ幼さが残り、その表情は縋るように見えた。弱々しく聞こえるが、それでも語尾がはっきりした声でタユは答える。  「元気だよ、ちゃんと……頑張ってるの」  言外に褒めてと伝えているのを、長い付き合いから理解しているウォンは彼女の頭を撫でる。さらさらとした懐かしい感触が手に伝わり、ウォンも無意識で微笑んでいた。タユが満足そうな表情を作ると、涙が一雫頬を伝った。胸を締め付けるほど甘い猫なで声がウォンの耳に届く。  「ねぇ、約束覚えてる?」  「覚えてるよ、だから一人で迎えに来たんだ」  「じゃあ、皆とも会いたいけど今日は二人っきり?」  タユは小さく首を傾げる。顔が擦れた胸元が少しくすぐったい。そうだよ、と頷くと目に見えて明るい表情になり涙は綺麗に消えていた。えへへ、と小さく笑うタユは見上げていた顔を正面に向け、猫のように顔を擦りつける。ふわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐった。  「明日は皆と遊ぼうね」  「うん、楽しみ」  「今日はどうしようか。何かしたい事ある?」  「んーん、ないよ。だから一日一緒に居て、いっぱい甘えさせて欲しいの」  「体は大きくなったのに相変わらず甘えるのが好きなんだね。わかったよ、お姫様。とりあえず、帰ろうか」  途端、黒い影に視界が奪われ、視界が開けたときには自宅へと着いていた。  ようやく離れるとタユは自分の家のように、えいっとベッドに倒れ込むと足をぱたつかせる。見慣れた黒いドレスの裾は折れ、白く透き通るような素足を存分に曝け出し、こちらには微塵の注意も向ける事は無い。パタパタと布団を叩く音とは別に、微かだが機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえた。タユに呼びかけるが枕に顔をしっかりと押しつけているせいか、返事が無い。ベッドの脇まで歩くが気づくそぶりも無い。悪戯をして欲しいようだと勝手な解釈とともにウォンは手を伸ばす。指先だけ肩甲骨辺りの背筋に軽く触れ、そのまま腰まで指を伝わせる。短く高い吐息を漏らすと足をピンと伸ばし、肩を震わせながら背筋をなぞる指を追うように背中を反らした。  「どうしたの? そんな可愛い声出して」  「ち、ちがっ……。い、今のはウォンが変な事するからびっくりしただけだもん」  「びっくりすると可愛い声出すんだ」  腰で止まった指で、今度は伸ばしきった膝の裏に触れ指の腹で撫で回す。  「んんっ……!!」  反射的に膝を曲げると、膝の裏でウォンの指を挟む。そのままウォンから逃げるように反対側に転がり仰向けになると、もぅと仕方なさそうに声を漏らした。  「ウォンのえっち……」  ごめんねと微笑むウォンを尻目に、タユは枕を掴み胸元に抱き寄せる。  「こっちはどう……?」  「相変わらずだよ。ラァラは服屋で忙しそうだし、ニイは頑張って勉強してるし、メイも働いてるし」  「メイがミーに付いて教員してるのが意外だよね……」  「そう言わないの。メイも自分で何で教員やってるのかわからないみたいだし」  「ほんとに何でだろうね……。ラァラは順当だけど、ニイも進学したんだもんね……」  「正直、進学するとは思わなかったな」  彼女たちとの過去を振り返りながら伏し目がちになると、ウォンはタユの額に手を置き頭を撫でる。深く息を吐き、くつろいでいるタユは目を閉じた。  「ニイは学校で何してるんだっけ……?」  「今は教員からの課題をこなしながら自分の魔法を研究してるみたいだよ」  「自分の魔法……?」  「動作魔法だったかな? 特定の動作で詠唱の代用する魔法」  「出来る人少ないんだよね……?」  「今の学校でも何人かしか居ないんだって。師事できる人もいないから自分で研究する事にしたみたい。自分だけで自分の能力について探求できるのは凄いよね」  すごいねと呟き片手で枕を抱くと、片手を頭を撫でるウォンの手の上に重ねた。心地よい暖かさに、タユは意識を溶かしていく。  「ラァラは前からお店やってたし、問題なさそうだよね……」  「ラァラも卒業してからは服に集中する時間が増えて、昔よりも質が良くなってるよ。俺がまともに準備する時はラァラの使うし」  「作れるよね……?」  「ある程度ならね。でも服とか薄い生地に関しては勝てないよ。専門でやってるし何より卒業してからは、服に関しては絶対に負けないって自信を持って作ってるからね」  「かっこいいね……」  「俺もそんな格好良く生きたいなぁ」  ふとタユは思い出したように口を開いた。  「後でラァラの所に行こ……? 新しい服欲しいの……」  「明日会うのに?」  「明日はみんなで遊ぶからだめ……。今日は働いてるラァラの所にお客さんとして行くの……」  ウォンは納得して頷く。明日は友人として1日遊ぶ算段のようだった。タユは閉じていた目蓋を開き小首を傾げながら、透き通るような黒い瞳で上目遣い気味にウォンの双眸を捉える。  「買ってくれる……?」  「……少し見ない間に甘え方が上手くなったね」  「大人っぽい……?」  「子供らしい甘え方では無いなぁ」  幼いながら大人びた冗談を言い、悪戯っぽく笑うタユはどこか蠱惑的に見えた。くすくすと小さく笑い、額に置かれた手をたぐり寄せると枕の上から腕を抱きしめる。前屈み気味になったウォンの鼻腔を再度甘い香りが突く。  「でもでも、ラァラの作る新しい服が欲しいのは本当だし、ウォンにプレゼントして欲しいのも本当だよ? もちろん、前に作って貰った服も大事に保管してるけど今着たら小さくなってるし……。えっと、えっと……。今は前と違ってみんなと毎日会えないし……」  蠱惑的に感じた雰囲気は気がつけば昔の幼い雰囲気に戻っており、笑っていたタユの瞳は微かに潤んでいるのが見て取れた。何のことは無い、寂しいのだ。だから少しでも、会えなくても繋がりを感じられるように形として手元に何かが欲しいのだ。だからラァラの作る服を自分にねだっているのだろう。恐らく明日、メイとニイにも同じ事をするのだろう。そして結果は同じになる事が目に見えた。  「わかったよ。今日は甘えて良いって言ったからね。プレゼントするよ」  「ほんと……?」  「本当だよ」  途端に潤んだ瞳は笑顔に変わり、腕を抱く力が強くなった。  「えっとね、えっとね……」  頑張って何かを言おうとするタユに耳を傾ける。  「頑張ってラァラに一番高くなるようにお願いするね?」  傾聴は不要だったと遅れて理解する。頑張り方が違うと言おうとしたが、タユの幸せそうな笑顔を見ると、そんな言葉はどうでも良くなっていた。  何度開いたかわからない見慣れた木戸を開く。開いた際の軋む音すら聞き慣れたものだった。板張りの床に一歩目を踏み出し、再度聞き慣れた音だと認識する。奥の方からパタパタと音が聞こえ、カウンター裏の扉から見慣れた女性が顔を出す。   「いらっしゃ……ってウォンか。いらっしゃい」  反射的な挨拶を、顔を見てやめると普段の柔らかい笑顔で彼女は迎えてくれた。この見慣れた笑顔は何度見ても安心するものだった。彼女はそのままカウンターから出てくると、どうしたのと問いかける。  「何か入り用だった?」  「今日は俺じゃなくて」  横を見ると先ほどまで居た少女がおらず、後ろを見ると入り口が開いたままになっている。少女は木戸に隠れるようにして少しだけ顔を覗かせていた。遅れて気づいた彼女は木戸の後ろに隠れる少女を捕獲して抱きしめると、そのままウォンの前に戻ってくる。柔らかい笑顔は嬉しそうな笑顔に変わっていた。  「何か入り用だった?」  「いや、わかってるよね?」  「えー、なにー? わかんなーい。約束は明日だしー?」  抱きしめた少女ごと体を左右に振り、楽しそうに笑う。  「タユちゃん、ウォンが何で私のお店に来たかわかるー?」  「んー、わかんなーい……」  されるがままのタユは左右に揺れながら、後ろの彼女の口まねをする。一瞬、帰ろうかと思うも大人げないと考えを破棄して楽しそうな二人を見やる。  「あー、そっかぁ。あんまりに暇だから私に会いたくなったんだねー。嬉しいなぁ」  「うん、ラァラに会いたかったから来たの……」  ラァラは左右に揺れるのをピタリと止め、ウォンを見る。それに小さく頷いて答えると最初よりも嬉しそうにタユを抱きしめ、タユの頭に顔を寄せた。  「え、本当に? もぅ、相変わらず可愛いなぁ。すごい嬉しいんだけど」  「私も嬉しいよ……。でも揺さぶられるのは、ちょっと疲れちゃうかも……」  あはは、ごめんね。短く謝るもタユを離す気はないらしく、そのまま頭を撫でる。  「それにしても大きくなったね。もうニイと同じくらいかな?」  「向こうに戻ってから成長が早くなったみたい……。たぶん、これ以上はそんなに変わらないとは思うの……」  「わかんないよー。私よりも大きくなるかもねー」  「んー、でもあんまり大きくはなりたくないの……」  「そうなの?」  「うん。あんまり身長変わったらラァラに作って貰った服着れなくなっちゃうから……。今日も服が合わなくなったから新しいの作って欲しくてきたの……」  再度ウォンに視線を投げ、それを頷いて返す。もぅ、もぅ、と意味の無い言葉を口にしながらラァラはタユを左右に振る。制止するようにタユはラァラを呼ぶが、結局ラァラが一息つくまで止まることは無かった。  「ラァラ、離して……」  「やん、ごめんね。怒らないでタユちゃん」  「怒ってないけど疲れちゃった……」  「もう振らないから、ね?」  うん、と答えるとタユは自分を抱くラァラの腕を抱いた。  「ウォン、掛札閉店にしといて」  「だめ、今はお仕事中……」  「今だけ、今だけだから」  タユの静止を無視したラァラに従い入り口の札を裏向きにする。戻ってくるとラァラがタユに窘められていた。  「お仕事中なのに……」  「今だけだから、ね? 許して、タユちゃん」  渋々と了承するタユと謝るラァラを見ると、雇用主はタユのように見えた。窘められていたことを気に留めていないラァラは明るい声で話す。  「まだ昼頃だけど、タユちゃんいつ来たの?」  「たぶん、二時間くらい前……。ウォンの家で休んでからきたの……」  「そっか、タユちゃん前より大きくなったけどウォンに変な事されなかった?」  一拍、何か思案した後に、小さな口を開く。  「いやらしい目で……」  「見てないからね、あらぬ誤解は招かないで欲しいな」  「あー、確かに大きくなったもんね。私と同じくらい?」  「えっと、無視しないで貰える?」  「私もウォンにいやらしい目で見られてるのかなー」  「その投げ遣りな言葉をやめない?」  「あと、あとね……」  「うん、後は?」  「体触られたの……」  ラァラの笑顔が嘘のように不自然な引きつった笑顔になる。明るかった声のトーンは下がり、引き気味に俺に顔を向ける。  「へぇ、前より大きくなった体を」  「うん……」  「頭じゃなくて?」  「足、触られたの……」  「あ、し……?」  ラァラはタユを抱いたまま三歩ほど後ろに下がる。  「えっと、ラァラ?」  名前を呼ぶと、もう一歩後ろに下がられた。  「そっかぁ、足触られたんだ。ふーん。久しぶりに会った子に、二時間程度の短時間で足に触れた人が居るんだ。ふーん」  「それ、何も納得してないよね。ちゃんと話をしよう?」  「タユちゃんが嘘をついていて、自分は足を触ってないと?」  反射的に顔を背けると、二つ分床が軋む音が聞こえた。  「そっかぁ、そうなんだ。へー。タユちゃん、ちゃんと嫌な事は嫌って言わないと駄目だよ?」  「ウォンなら仕方ないかなって……。その前に背中も撫でられたし……」  更に音が二つ。  「でもね、でもね……」  嫌な予感しかしない。今日のタユは頑張って色々話そうとしてくれているのが解る。考えがまとまってないけど、伝えたいことがあるのも理解できる。だが、今日に限っては全て駄目な方向の言葉にしかなっていないように感じられた。  「ラァラの作る服で一番高いの買ってくれるから許してあげるの……」  「タユちゃんの背中を撫で回して、太ももを撫で回して、高い物を買うから許せと。へー、そんな人が居るんだ。へー」  横目で見たラァラは笑っておらず、抱かれたタユは幼さを感じられない値踏みをするような、反応を試しているような不穏な笑みを浮かべていた。  「ちょっと待ってラァラ、誤解だから」  「背中と足に触って、高い服買ってあげるって言ったのは嘘なの?」  「それは……嘘、ではない……です」  「普通に引くんだけど」  心が折れる音が聞こえた。ラァラの言葉で満身創痍のウォンは立つ気力も無くなり、入り口横の長椅子に力なく座り込み両手を額に当て俯く頭を支える。ようやく絞り出した声は絞り出すような、縋るような物だった。  「ラァラ、話を……」  「変態、話しかけないで」  あぁ、心が砕けた。いっそ全身で砕け散りたい。遠くで無邪気な笑い声が聞こえた気がした。ウォンから離れた場所で、くすくすと笑うタユがラァラの纏めた話に補足を入れる。  「えっとね、背中と足触られたって言うのは少しくすぐられただけなの……。背筋をちょっと触られて、膝の裏をくすぐられて……。たぶん、家に行ってまっすぐベッドに寝転がったから遊ばれたんだと思う……」  「そうなの?」  「久しぶりに来たから懐かしくて……。それでね、高い物を買うって言うのは冗談で、前みたいにラァラが作った服をウォンにプレゼントして欲しかったの……。だから一番高いの買ってねって言ったら良いよって言ってくれたから、つい……」  「あー、でも確かにタユちゃんもウォンも嘘はついてないかぁ。私が間違ったのは悪戯したのを高い物買うから許せって言った事だけだし」  「背中も太股も撫で回されてないよ……?」  「それは私の中では撫で回してたから間違ってないよ」  「でも、ウォンがラァラに詰め寄られてるの少し面白かったの……」  「んー、自分で言うのも変だけど真似しちゃ駄目だよ? 今、本気でウォンもショック受けてるし」  「本気でショック受ける事言えるのってすごいと思う……。嫌われたら嫌だから私は言えないの……」  「その辺は個人の付き合い方もあるから何とも言えないけど、私もウォンに嫌われたいわけじゃないし。たぶん、単純に何言っても嫌われないかなってウォンに甘えてるんだと思うよ」  「弱みにつけ込めば何しても嫌われないってこと……?」  「昔よりも言葉がとがってるね、遠回しに私を責めてるようにも聞こえるなぁ。私たちはウォンと昔から付き合いもあるし、ウォンの性格も知ってるよね。そうするとやって平気な事と駄目なことも、ある程度解るよね。それで私がやってる事は、やっても平気な事。もちろん、ウォンを責めるのが良いことではないよ。それでも責める理由自体は正当だし、ウォンしか責めてないからね。後で拗ねたりはするかもしれないけど、謝ればウォンは許してくれるし良いかなって」  「私もウォン拗ねさせてみたいかも」  「……私が言うことじゃないけど、タユちゃん少し嗜虐思考持ってない?」  「嗜虐思考……?」  「無自覚って怖いなぁ。でもきっとタユちゃんは純粋なんだろうなぁ」  さて、と言葉を句切りタユを抱いたままカウンター裏へと歩いて行く。  「ウォンは……?」  「後で謝るからいいよ。それより、ウォンが起きてるときに出来ない採寸済ませちゃおうか」  「起きてても出来るよ……?」  「背中や太股を撫で回す人が起きてるときに採寸なんてしたら何されるかわからないから駄目ですー」  「……ラァラ、ウォン嫌い?」  「まさか。大好きだよ」  二人は楽しそうな声音を残し、店内から姿を消した。  二人が店内から姿を消して間を置かずに、木戸の軋む音が聞こえた。掛札は閉店に直しているため、知り合い以外は入ってくることは無い。顔を上げずとも、誰が来たのかわかる明るい声が店内に響く。  「やっほー、ラァラ。いるー?」  入り口脇には目を運ぶことなく、カウンターを目指して数歩足を進め立ち止まる。店内にラァラがいないのか周囲を見渡したところで短い悲鳴が聞こえた。  「うわっ、ウォン!? 来てたんだ、びっくりしたぁ……ってどうしたの?」  とさっと軽い音を立てて彼女はウォンの隣に腰を下ろす。躊躇いの無い行為は二人の関係を物語っている。砕けた心では反応が鈍く、返事をするよりも早く頭に暖かな感触が触れた。  「もー、ラァラが居ないって事は何か言われたの?」  「……ん」  「ほら、元気出して。ラァラも本気で言ったわけじゃないだろうし」  「ラァラの冗談はわかりにくいからなぁ。演技か演技じゃ無いかわからなくて、本心で無くても精神的なダメージが大きくて……。久しぶりに心が折れたよ。少し休まないと立ち直れないかな」  重傷だなぁと呟きながら、彼女はウォンの頭を撫でる。ダメージを受けた精神を癒やすような優しい感触に深いため息が出た。癒やしを感じると甘えたくなるのが悪癖だなと改めて自覚すると一つ深く呼吸をして頭を上げる。  「ニイ、ありがと。少し元気になったよ」  「どういたしまして」  笑顔のニイは変わらずに頭を撫でている。昔よりも髪が伸びており、元気ながら女性らしさを感じる雰囲気に一瞬息をのむ。普段二人だけで会うことも無いため、これだけ近くに顔があるのは久しぶりだった。  「ニイ、もう大丈夫だよ。ありがとね」  「まだ普段より元気じゃ無いからね。元気になるまで、よしよししてあげる」  満足そうに頭を撫で続けるニイは鼻歌を歌う。上機嫌のニイと目が合った。  「それでどうしたの?」  「……ラァラに変態って言われた」  「割と言われてない?」  「その言葉も傷つくなぁ。いや、今回のは中々辛辣な態度でね。たぶん、本気で言ってないとは思うよ? でもなぁ、冗談でもショックはショックなんだよなぁ」  「珍しいね、そこまでショック受けるような言い方も」  「でも間違ってるわけでは無いから否定も出来なくてさぁ」  「ラァラに変態って言われるのを否定できなかったって事? え、押し倒したの?」  違うからねと否定はするも、ニイは自分の頭を撫でる手を止めたことに違和……ではなく懸念を抱いてることが見て取れた。  「押し倒してないし、ラァラに何かしたわけじゃないよ」  「なのに変態って言われたの?」  答えを探すように、ニイは少しだけ思案して考えを放棄する。そのまま普段の明るい笑顔を浮かべると止めた手を再度、動かし始めた。  「まぁ、いいや。どうせ大したことじゃ無いだろうし」  「その大したことじゃ無いことで久しぶりにショックが大きいんだよなぁ」  「ほらほら、慰めてあげるから元気出して」  ため息を一つこぼしたウォンは大きく息を吸い、吐き出す。鬱屈とした気分が幾分か晴れ、頭を撫でる優しい感触に意識を向け気を緩めた。  「よし、もう大丈夫。ありがとう、ニイ」  「うん、もう平気そうだね。でも、どうせだからラァラが来るまで撫でようかな」  「結構髪伸びたね。いつだっけ、前に会ったの?」  「何ヶ月か前だっけ? そっか、確かに伸びたよね。そろそろ切ろうかな」  「切るの?」  「長いと手入れが大変なんだよ?」  空いた方の手で自分の髪に触れ、指で弄ぶ。それを追うようにして無意識で、ウォンもニイの髪に触れる。艶のある柔らかい髪は、サラサラと指から逃げるように零れていく。  「ニイの髪長いの見たことないし見てみたいな。伸ばしてよ」  「今でも髪に気を使ってるのに簡単に言うなぁ。んー、でも……そうだね。いいよ、もう少し伸ばしてあげる。だからちゃんと褒めてよ、しっかり手入れするからさ」  「もちろんだよ、楽しみが出来たね」  「ねぇ、タユちゃん聞いた? 私たちがいない間に何か二人で良い感じなんだけど」  「ちょっと、ずるい……かも?」  いつの間にか裏から出てきた二人はカウンターに頭だけを出すように屈み、こちらの様子をうかがっていた。口元に手を当て、他の人に聞こえないように話している振りをしつつ会話を進める。  「ずるいよねー。ここ私の店なのになぁ、私の居ないことを良いことに、ねぇ?」  「やっぱり、ウォンって……」  「何か含みがあるように言葉を句切らないで欲しいな」  距離のあるウォン達にも聞こえるヒソヒソ話をしていると、ニイはウォンの隣を離れカウンター裏へと回るとタユの隣に屈み井戸端会議に参加する。  「あれ、タユちゃん明日だよね?」  「今日はお客さんとして服を買いに来たの……。明日はみんなと遊ぶから、ラァラも店員したら駄目なの……」  「そっか、なるほどね。何か見ない間に大きくなった?」  「ラァラにも言われたの……。向こうで生活してから成長したんだけど、たぶんこれ以上はあんまり変わんないの……」  「そうなんだ。小さかったタユちゃんも可愛かったけど、大きくなったタユちゃんもお淑やかな感じで良いね」  「そんなおとなしくてお淑やかなタユちゃんに狼藉を働いた人がいるんだよねー」  「いやらしい目で……」  「いや、それはもういいよ」  意識はしてないがタユからは、いやらしい視線に感じられたのかもしれない。繰り返し聞く単語に反省の余地があるのかもと一考し、棄却する。自分はそんなやましいことはしていないはずだと、ウォンは過去を振り返り自信を取り戻す。不意に誰かが「ウォンはいやらしいからねー」と言っている音を耳が拾ってしまい、自信はどこかへ過ぎ去っていった。  「それで今日はここで買い物した後はどうするの?」  「んとね、考えてないけどウォンと話しながらお散歩したいなって……」  「良い天気だよね。暖かいしお昼寝日和だね」  「お昼寝も良いね……」  「何も予定が無いのも良いよね。何となくやりたいことウォンとすれば良いし」  何しようかなと呟いたタユは改めて左右に居る二人を見やる。  「着いたときにウォンと話してたんだけど、ウォンがラァラは格好よくて、ニイは凄いって言ってたよ……」  二人は不思議そうに互いに見つめ合った後、同時にタユに視線を投げた。言葉が足りなかったと補足するようにタユは口を開く。  「えと、ラァラは生き方が格好良いんだって……。自分の作る服に自信を持ってるのが格好い良いって、自分もそんな生き方したいって言ってたの……。それでね、ニイは学校の課題をこなしながら、師事する人も居ないのに自分の魔法を研究してて凄いって言ってたの……」  「まぁ、私のは何とか課題こなして空いた時間にする暇つぶしみたいな物だけどね」  「……あー、とりあえず謝ってこようかな?」  一つ深く息を吐いたラァラに二人がいってらっしゃいと声をかける。カウンター裏から立ち上がると二人から離れ、ベンチに座り込むウォンの前に屈む。大分復帰しているウォンもラァラが来たことを気にする風もない。  「楽しそうだったね」  「一人になって寂しかった?」  「話し声は聞こえてたからね、そこまで寂しくは無かったよ」  ウォンを見上げるラァラの髪が揺れる。片腕を伸ばし頭に触れようとしたが届かなかったラァラは、代わりにウォンの頬に触れる。  「ニイに頭撫でられて嬉しそうだったから撫でようと思ったかど、届かなかったよ」  「嬉しかったというか癒やされたよ。傷心には優しい行為だったね」  「えー、誰がウォンをいじめたのかなー」  ラァラは白々しい口調で話しながら、頬に触れた手を滑らせ首筋で止まる。くすぐったい感触が止まるとラァラは真っ直ぐにウォンを見据えた。  「ごめんね」  飾り気のない言葉、負い目を感じない素直な表情。付き合いが長くても演技を見分けにくいラァラだが、 声の調子や雰囲気で本心であることは理解できた。すんなりとラァラの言葉を受けられるのは、やはりラァラを嫌いたくない気持ちがあるんだろうなと考えていると、気がつけばラァラの顔が眼前に近づいていた。  「え、ちょっと待って。ぼうっとしてた。なんでそんなに近くに居るの?」  「反応無いから怒ってるのかなって。キスしたら許してくれる?」  「そもそも怒ってないから。ちょっとショック受けてただけで、もう大丈夫だよ」  これ以上は近づかないようにとラァラの両肩を掴み押さえる。が、力が収まらない。  「ねぇ、ラァラ。力抜こう、ね?」  「嫌だなぁ、力なんて入れてないよ」  「いや、結構入ってるよ」  「ほら、さっきウォンに冷たくしたからさ。別に嫌いだから冷たくしたんじゃないのを理解して欲しくてね。その分、くっつこうかなって」  「いや、気にしなくて大丈夫だよ。だから、一回力抜こうか」  また声の大きいヒソヒソ話が聞こえる。  「ねぇ、たゆちゃんどう思う?」  「ニイはずるいかもだったけど、ラァラはずるいと思う。ラァラ、ずるい」  「ほら、私も嫌われたいわけじゃ無いからね。嫌いだからあんなことしたって思われないように主張しとかないと」  「うん、十分理解できたから離れようか」  仕方ないなぁとようやくラァラは力を抜き、ウォンに押される形で離れると、今度は隣に腰を下ろす。何食わぬ顔でウォンの腕を抱き締め、カウンター裏へと視線を向ける。 「ほら、二人とも。いつまでそこにいるのさ」 「行こっか、タユちゃん」 「うん……」 ラァラに促された二人は、ようやくカウンターから離れた。迷うこともなくニイはラァアとは反対に腰掛け、タユはウォンの膝に腰を下ろす。 「両手に花だね」 「正面にもあるんだけど」 「じゃあ花束だ」 くすくすと笑うラァラは楽しそうに目を細めた。誰からかはわからないが、柔らかく甘い香りが漂ってくる。心地よい空間に目を閉じていると胸元で何かが動いた。目下、タユが胸に頭をつけたまま見上げていた。物言いたげな目をしているが口を開かない。 「どうしたの?」 返事はない。どうやら気持ちを汲み取る必要があるようだ。さて、何を考えているんだろうか。 「お腹減った?」 一瞬不思議そうに眉をしかめたが、小さく首を横に振る。確かに振った。が、何かを思い直したように縦に首を振ると小さな声で肯定した。 「そっか、じゃあ食べに行こうか。もう用事はすんだ?」 「……うん、終わったの。ありがと、ラァラ」 「どういたしまして。出来るのは少しまってね、完璧に仕上げるからさ」 「楽しみ……」 「ラァラはご飯食べたの?」 「んーん、タユちゃんと遊んでたからまだだよ」 「じゃあ、ちょうど良いし 私の家くる? お母さんがご飯作ってるし」 やったと嬉しそうに返しラァラは立ち上がる。ニイも追って立つが、タユが立たない。いや、一拍をおいて立ち上がった。小さな手がウォンの手を掴み、引っ張る。軋む木戸をしっかりと閉じて二人も外に出た。 二人とは店先で別れ、ウォンとタユは街の奥。商業施設の集まる商業地区へと歩を進めた。タユに捕まれた手を握り返し、肩を並べて陽光と人波の中に身を投じる。ポツポツと言葉を交わす。寡黙でもなく多弁でもない。互いに、少しだけ会話の終わりが物足りない。物足りなさを埋めるように他愛ない話題を振っては、どこか物足りない終わり方を繰り返す。タユは無意識にウォンの腕を抱くことで、ウォンは次の話題を探すことで互いに物足りなさを埋めようとしていた。風が多様な料理の香りを運び、空腹を刺激する。美味しそうと、タユが呟き腕を引いた。ふらふらと店頭に立ち寄っては次の店へと足を運ぶ。店頭の料理を見ては楽しそうに笑い、タユはウォンを見上げた。可愛らしいタユにウォンも自然と笑顔になり満たされた気分に浸る。 「あぅ……どれにしよう……」 「色々あるね、どうしようか」 あれもあれもと、目を輝かせながら気になる料理を見ては悩む。一頻り悩んだ後にタユはウォンの腕を抱き寄せ、小首を傾げた。 「……ウォンは何食べたい?」 「そうだなぁ。どうせだから少しずつ買って色々食べてみようか」 「ほんと?」 子供らしく笑うタユは考えに賛成のようだ。方針を決めると行動は早かった。近い店に向かうと、笑顔で欲しいものを伝えてくる。一人分を買い、近場の噴水の縁に二人で腰を下ろした。タユはウォンの腕を抱いたまま離すつもりはないらしく、小さな口を開けてウォンを見やる。口元に料理を運ぶと、はむっと息を漏らし食いついた。しっかりと租借して飲み込むと、美味しいと呟く。ウォンも一口、口に運び味を確かめた。思ったよりも濃かったが、確かに美味しかった。んー、とタユが口を開けて待っているのを見て、自分で食べなよと声をかけたが、んーと返事を返された。どうも自分で食べるつもりは無いようだ。繰り返すように二人で分けながら食べ終えると、タユは次の店を決めてウォンを引っ張っていく。数点回り同じことを繰り返すと満足したのか、少女は小さく息を漏らした。 「お腹いっぱいなの……」 「それは良かったよ」 「お腹……」 タユは抱いていた手を掴むと自分の腹部を触れさせた。そのまま上下に動かして、お腹が膨れていることをウォンに伝える。確かに触れている掌からは張っているような感覚が伝わり、お腹が山のようになっているのがわかった。 「少し太った?」 「うん、太っちゃったの……。でも、女の子に言ったらダメだと思うよ?」 めっ、とタユに叱られた。ぺしっと腹部に置かれた手を叩かれる。